「一人びとりが雄々しく生きる」
※「ブロガーズ・ネットワーク翼」に投稿したもの
こんにちは!
今回もまた、ICTから離れたことを書きたいと思います。(実はこっちのほうが得意分野なのです。。)
先日、MXTVの「東京からはじめよう」という番組で猪瀬副知事と東浩紀さんが対談していました。東さんは私と同世代なのでそれなりに注目しています。
この対談では(私が考える)ふたつのポイントがありました。
ひとつめは、「それぞれがそれぞれの持ち場(現場)で闘うのが、世の中が動く前提」ということです。それだけで、いいんだよ、と。
それが、世の中を動かすために実はもっとも近道なのである(と、まずは信じましょう)ということです。
東さんは、反原発デモに違和感があるとおっしゃっていました。デモに参加すれば対外的には「アイツ活動してるな」と思われるかもしれないが、それで世の中が動くのか? という疑問。だから僕は、自分の持ち場である言論の場で雑誌を出し続けてゆきたい、と。
ただ。。東さんと私たちの持ち場は違うんですよね。マスコミや言論が持ち場の人たちは、そこで闘うことにより現場の空気を変え、さらにそこから世の中が連動して変わってゆくことを強く実感できるかもしれない。(官僚の方もそうかもしれません)
真摯に考えて政治家になろうとする方々も、考え方は同じなのでしょう。もっとも「世の中」と直結している現場にいきたい、と。。
はたしてこのシステムエンジニアリングという仕事、ICTという業界で、自分が自分の持ち場で闘って現場を変えたところで世の中が変わるだろうか? という疑問は、当然あります。
でも、まずは信じましょう、ということですね。少なくとも現場をほっぽり出してデモにうつつを抜かすよりは、よっぽどよいのではないかと思います。
私も、かなり昔から、学校の先生が授業ほっぽりだして日教組のデモに行くっていう光景に違和感があったんですよねー 最初っから「現場」で闘う気がない。そんな人たちを生徒が慕うわけはないだろう、と。
でも、授業がカットになるのはうれしかったんですけど。。
もうひとつは、東さんが、「自分は実際親になったんだけれど、父性というものがいまだにわからない 自分は未だに子供のままなのではないか」という思いを吐露していたんですね。
これはつまり、東さん自身は、この世の中に「父性」が今足りてなくて、かつ必要とされているということを強く感じはじめていらっしゃるのだと思います。にも関わらず、自分にそれが欠けているという焦り。。
で、これのひとつの解というのが、猪瀬副知事もおっしゃっていましたが、ひとつめに書いた「持ち場(現場)で闘うこと」そのものである、と。
家族を抱え、現場で闘うことにより自然と父性というものは身につくに違いない、ということは、今のニッポンで、私たちの世代の人間のほとんどが、それすらできていないのでは? という問題提起になってきます。
ただし猪瀬副知事(団塊の世代)は、私たちの世代を批判的にはみておらず、戦後世代の我々からしてもう父性はない、と。我々の世代がはしりだったんだよなー、と反省しているようでした。
で、タイトルに書いた「雄々しく生きる」なのですが。
天皇陛下の3月のビデオメッセージをご記憶の方も多いと思います。私は、多くの周りの人たちと同様に、以下のふたつのキーワード
「雄々しさ」
「一人びとり」(ひとり「ひとり」ではない)
この「語感」が強く自分の心に刻まれたように思います。どちらも、現代社会では使われない言葉です。
(以下、抜粋)
この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸をうたれています。
国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。
全文はこちらに
結局何が言いたいかというと、東さんの「父性というものがいまだにわからない」という疑問に対する解は、(言葉でいうのは)簡単であって、「一人びとりが」「雄々しく生き」ればそれで解決するのです。
たまたま、なのか必然なのかわかりませんが、私たちの世代(の特に男子)がこれからの時代を生き抜く指針を、天皇陛下のメッセージから読み取ることができるのです。(というか、読み取らなければならない)