元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

情報の点と点とを結ぶというハナシ

 

ameblo.jp

毎週楽しみに録画してみてる、MXの「松嶋×町山 未公開映画を観るTV」。。
(それにしてもMXは良質な番組を流してるよなあ 自分の録画予約ながめてみると、MXばっかだもんなあ)

先日は「コラプス」という映画をやっていた。その主人公であるマイケル・ルパートのハナシでなんとなく印象に残っているのが。。

「情報の点と点とをつなぐ」というハナシ。おそらく、彼がいいたかったことはね。。

一般人も、ジャーナリストも、ベースとなる情報は同じ媒体から得ている。新聞とかテレビとかね。
ところが、一般人は、「見出し」で終わってしまう。ジャーナリストは細部の、ピンポイントの記載に嗅覚をはたらかせることができる。

一般人は、見出しで情報の取り込みを完了してしまうとどうなるかというと。。カンゼンにマスメディアの受け売りになる。これは、はっきりいって思うツボ。マスコミの伝道者。自分の中で情報の変換を行えない。

ジャーナリストは。。見出しには警戒しているからインプットしない。そして、細部細部のスクラップ(点)をつなぎあわせて、ひとつの大きな情報としてゆく。これを彼は「暴く」といってるよね。

情報は、カンゼンに隠蔽されているわけではない。Yahooのヘッドラインでもなんでもいいんだけど、「ホントウノコト」は、それぞれのコンテンツの細部から滲み出ているんだ。

でも、一般人は(今のところ)どんだけメディア・リテラシーを啓蒙したところで、そもそも「見出し」以上のことを求めていない。
それどころか、情報を口を開けて待ってるだけ。マスコミ側に「情報を咀嚼して、やわらかくして、甘く味付けして、ボクの口にほおりこんでくださいバブー」といいながら身体はふんぞりかえっている。

こういうヤツらが、もっともキケンである。実は、マスコミ側(体制側)よりもこういうマスコミの伝道師のほうがキケンなのだ。