元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

インテリと「思想」2

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我々のおじいさん、おばあさんの世代は、コドモたちに、「せめて教育を」と切に願い、その願いはほぼ実現されてきました。(【重要】自分たちの世代までは!!)

先達はなぜ、次の世代に「教育」が必要と考えたのか?

そしてなぜ、学のない先達は苦労したのか? あるいは、自分たちは苦労した、と考えざるを得ないのか?

今、学ぶことをないがしろにしている若い世代のヒトたちは、これについて考えなければならないのですが。。 「思考」すら放棄していますからね。


ここから仮説ですが。。

彼らは、教育を受けることにより、いいところに就職できるから、とか、玉の輿に乗れるから、とか、そういう理由で「教育を!」と叫んでいたのではありません。(と信じる)

また、コドモにまともな教育を受けさせて、給料の良いところで働いてもらって、自分たちが老後楽になるように、という自分本位の考え方でもない。(と信じる)

仮にそういった、現実的な打算があったのだとしても、それは後付の動機にすぎません。


彼らは、はっきりいってしまえば、教育により、「上の階級を目指せ」と言いたかったのです。

それは、いい会社に入るとかそういう直接的なものとは、少し違います。

まず、今は幻想となってしまいましたが、ムカシは、教育を受ければ教養が身につきました。

ですから、ムカシの世代の方々の考え方は今でも、教育を受ける=「教養を身につける」です。

実際は、教育を受けたところで「知識」が頭に入ってくるだけで、それを咀嚼して「教養」にまで昇華させることは、学生の自力ではなかなかできなくなってきています。

それは昨今、「教養がある」と感じさせる学生、若い世代が激減していることからも明らかです。

なぜそうなってしまったのか、はまた別な機会に考えるとして。。


教養、そして「たしなみ」を身につけることにより、「上」を目指せる、と信じられていたのです。

それは、うがった見方をすれば、戦後の制度改革につけこむということになります。

日本はほぼ、階級制度はなくなりましたので、「ほぼ」総中流の中で暗黙の上下階級ができあがっています。

こういった状況では下克上は「アリ」です。

下克上は、ある程度はおカネに物を言わせてイケないこともないですが、決め手となるのは教養と「たしなみ」なんですよね、やはり。

ですからそれは「成り上がり」とも違う。「成り上がり」はおカネがほぼすべてであり、教養とたしなみは意識的に無視する傾向にあります。


これは、先日書いた"noblesse"です。(やっとつながった。。)

先達は"noblesse"を、表面上は違ったかもしれませんが明らかに意識していた。「『高貴』になってほしかった」というとなんだか大仰なので。。

「インテリ」ともちょっと違います。インテリというのは教養とたしなみが身についていないこともあります。(が、もちろん庶民と比べれば、身についている可能性は高い)

先達は、次の世代に、「教育」を半強制的に受けさすことにより、カネ勘定ばかりの「商人」になってほしかったわけでもなく、融通の効かない「インテリ」になってほしかったわけでもなく、教養とたしなみを身に着けた戦後平等主義社会における「擬似上流階級」にのし上がってほしかったのです。

その「擬似上流階級」が結果として職業が商人になったりインテリになったりしたところで、それはなんでも構わないのです。

もっと直接的、極端にいえば、戦前の華族の流れを汲み、戦後も「中流の中の最上流」に位置づけられるヒトたちとお近づきになりなさい、ということ。戦後であれば幸いなことに、市井の教育で彼らと同じだけの教養とたしなみを身につけることができたのです。

「庶民」を飛び越えるための最も有効な手段が「教養を身にまとう」ことでした。

でも今は、幼稚園~高校まですべて公立だと、教養が自然に身につく、というのはほぼ絶望的といっていいでしょうね。これは、誰も明言していないかもしれませんが、明らかです。

本人と親がムリして努力すれば別です。「自然に」が難しいということ。

なぜなら、周りが。。 特に親が、コドモに「教養とたしなみ」を身につけさせようなどとはこれっぽっちも考えていないでしょうから。そして学校側も。。

極端に受験一辺倒に走るかあるいは、不自然なほどの「自由」を強調してコドモの傍若無人にまかせてしまうか。。

これは東京だけのハナシかもしれませんが、こういう理由で私立志向というのは止まりません。私立はムカシも今も、たとえ幻想であっても、「教養とたしなみ」「上流」を明確に意識していました。そしてその方針に魅かれる親(そして子)が集まった。


今は違いますが、当時は「カネ」は二の次だったはずなのです。カネがなくとも「教養」に支えられた「高潔」でさえあってくれれば親は子の成長をココロから喜んだのです。

親は、教養を身につけるという大前提で、「まっとうな就職」をのぞみ、たとえば、非インテリの職人層のコドモが、役所、教員、あるいは新聞社とか、名の通った企業のホワイトカラーに就職が決まると親はたいそう喜んで、近所中、親戚中に自慢してまわったものです。(娘が、そういう人種のところに嫁にいくのも同じ)

かつては、親の仕事を子が継ぐことは、それほど喜ばれなかったのです。明らかに。それは、対外的には「教養が身につかなかった」ということになるからです。(今の時代は、そんなことはありません)

と、いうことは、かつては、そういう教員であるとか役所であるとか新聞社であるとか、そういうところに就職するということは、非常にわかりやすいかたちで、「上流の一員になる」ということだったのです。


かつて親たちは、そういう「上流の一員」にバラ色の人生を見、(たとえですが)職人的人生にバラ色の人生を見出せなかった。だからコドモたちには、まず教養を身につけさせて、上流の一員になることを望んだ。

なぜ「上流の一員」がバラ色なのか。それは、当時「上流」にみえたヒトたちの家や車が大きかったり、カネ持ちそうな買い物をしたり、そういう振る舞いや生活をみて「バラ色」に感じたのではないのです。(おそらく)

おそらく「上流」にみえたヒトたちのうちでそのような成金的生活をしていたヒトは少なかったのではないでしょうか。


長かった。。ここでやっとキーワードになるのが「思想」なのです。

彼らは、「上流」のヒトたちが、ごく自然に教養とたしなみを身につけているのが羨ましかった。「スマート」にみえたわけですね。

なぜうらやましかったか、といえば、彼らは、そういったヒトたちに「何か」、つまり、表面的でなく内面的にも人生を充実させることができる手法―「上流」にだけ相伝されてゆくであろうもの―を、敏感に感じていたからです。

「上流」のヒトたちは、この人生を読み解く「何か」を知っている。あるいは、それにとても近いところにいる。それは、人生の充足度を加速度的に飛躍させるエンジンのようなもの。

その「何か」は庶民階級にいてはわからない。「上流」はコトバのとおり上にあるのではなく、同じ地平の「向こう岸」にある。だから、自分のコドモたちをそこに送り込んでその「何か」を知りたいと願ったのです。そしてそれを「おすそわけ」してほしい、と。

それは、「カネ」ではなかったのです。

これは、はるかムカシから日本の「庶民」の潜在意識に根付いているものであるはずです。


この「何か」を探るのが思想です。