元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

掃除論

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オイラにとっては、爽快感を得るための手段としての「掃除」である。

特に、家の中でも相当キタナい、排水まわりとかを掃除してると、その後相当なる爽快感が約束されている。
それの中毒になってしまえばいいのだろう。。?

トイレ掃除は今、それなりに流行っている。誰かがしきりに、トイレ掃除で金運がつくと喧伝したからだろう。

キタナいトイレを素手で掃除(素手で便器を拭けっていってるわけじゃないよ ゴム手袋を装着せず掃除するという意味)してると、終わった後かなりの爽快感がある。
最初は、あのキタナいトイレの臭いに、慣れない人間は吐き気すら催すが、一心不乱に汚れを落とすことに没頭すれば、やがて麻痺してくる。

トイレ掃除は確かに、ただの掃除ではないのだろう。なにせ人間の排便を処理するのだからなあ。人間の仕事の中で、最底辺層といってもいいだろう。
それを行うと金運がつく。。かどうかはこの際おいといて、これはかなりの奉仕である。

と、いうことは、自分の家のトイレばっかりピカピカにしていてもあんまり意味はないのだろう。
かといって積極的に他人のトイレをキレイにしろとはいわないけど。。
自分が使った公衆トイレを、「きたときよりも、美しく」する習慣ぐらいは、つけられるだろう。それで十分。


トイレ掃除、排水掃除でキレイにした後の爽快感がすべての、なんというか、人間の運をいいほうに向かわせるのだろう。金運含めて、ね。
理屈でいっちゃうと、そういうことだ。

あ、それと、金運をつけたいがためにトイレ掃除する、となったら、もうその瞬間から本末転倒だからダメなんだろね。