元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

~集団の中で突出するイメージ~

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まず「のっぽ」は目立つ。これは、「所与の才能」のイメージ。(あくまで例)
どの集団にいても頭ひとつ出ていれば目立つ。ただし、頭ひとつ出ていた人間が集まったエリート集団になってくると、目立たなくなってくる。
「今までオレは目立ってたのに。。」という挫折感が発生するかもしれない。

と、いう意味では、凡人の集団で頭ひとつ目立っているほうがおめでたいというか、「井の中の蛙」のようなもので、そこにどっぷり浸かって、上を望まないほうが幸せなのかもしれない。


次に、派手な服装をしていると目立つ「ことが多い」。
ただし目立つのは、集団の周縁部分にいるときだけだ。完全に、集団に埋没してしまっているといくら派手な格好をしていてもそもそもみえない。


次に、今いった「周縁にいる」というスキル。
集団の中で常に(しらっと)「周縁にいる」というのは大事なことだ。
まず、集団に埋没してしまうと息苦しい。周縁にいたほうが空気がよい。
そして、周縁にいてかつ服装を派手にしてゆけば、目立つようになる。

周縁にいるというのは、優劣ではないのだ。周縁にいるというのは「たまたま」かもしれない。優れているから周縁にいるというわけではない。

だが、多くの人間は意図的に周縁に出てくる。こういう人間は、周縁に出てくれば目立つということをよく知ってる。自尊心が高いヤツが多いわけね。

そして、ほとんどの人間は大きなカンチガイをしている。自分はのっぽじゃないから、わざざ周縁に出てこなければならない(つまり、才能がない)ということを認めようとしないことが多い。

周縁に出てくるというのは自分で勝手にやっていることであってそれは才能ではない。それはただの「行動」。
計算高いヤツらは、周縁に出てきつつ、自分の格好を派手にしてゆく。目立つようにね。
それは、「自分は才能がない」と宣言してるようなもんだ。

そうそう、こういうヤツって結局、ほとんど「適応障害」なんだよね。集団に埋没できず、自意識過剰で、「周縁」にあぶり出されてくるというのは。

適応障害でかつ才能がなく自意識過剰というかなりカンチガイしている状態から抜け出すには。。ただただ「努力」あるのみなんだけど、そこを気づくヤツはほとんどいないわけで。

でもね、適応障害は自意識過剰については、オイラはけっこう擁護する派だな。なぜなら、「まずそれありき」だから。それすらなかったらホント、ただの凡人でしょ。