元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

『致知』2001年10月号「兄・小林秀雄から学んだ感受性の育て方」

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「そんな上っ面な『個性』なんてなあ。。」と自分より年下に言いたくなることが多々あった。今はあんまりない。
(以下、引用)

「兄・小林秀雄から学んだ感受性の育て方」
高見澤潤子(劇作家)
致知』2001年10月号特集「先知先哲に学ぶ人間学」より
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個性について兄がこんなことをいったのを覚えている。
「人間は、自分より偉い、優れた人に出会ったら、その人を心から尊敬できるようなナイーブなものを持っていなくちゃ駄目だ。他人への信頼と無私な行動とが一番よく自分の個性を育てるものだ」
私はこの言葉を聞いたとき、正直なところ、本当にそうなのかと疑問を持った。個性というものは自分に与えられているものだから、自分が育てなければならない、自分の個性と思われるものを努力して、苦労して、自分で磨き上げなければならないと思っていた。
しかし年をとるとともに、この言葉が真実であることがわかってきた。
個性を育てるのに、たいていの人は私のように誤解して、間違った方向をとってしまう。
ことに、人を尊敬するとか、他人を信頼し、無私になることは却って自分を殺してしまうと思って、俺が俺がという気持ちを持とうとする。そうすれば、ますます個性を育てることは難しくなるであろう。
兄のいうように「心から尊敬できるナイーブなもの」が大切なのである。