元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

仏教、宗教について正面から

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今の時代、何がキビしいかといえば、「ムカシの宗教」のように受け身で(ハンパに)祈ったところで何も報われないのです。

そうすると、自分に非がある場合にも、祈る対象に責任を押し付けたりします。。「こんなに祈っているのに!」と。祈るだけで何も行動していないという自分の非からは目を背けています。

「こんなにガンバっているのに。。」といつも思っていて、でもまったく成果が上がらず、そこで思考停止してしまって「なぜガンバっても成果が上がらないのか?」という客観視までたどりつけない最近多いビジネスマンの典型と、似たような話になってきますね。。

現代社会をストレス少なく行きぬくには、常に動きながら、変わり続けながら、さらに禁欲、節制して、さらに祈る、という、高度な合わせ技が必要だと思います。(【重要】マーク)

動き続け、変わり続けることができるだけが報われる、という意味では、明確な「格差社会」になってゆきますね。でも、それでいいではないですか。行動を起こす人だけが報われてほしいです。

そこには、インテリジェンスも必要になってきます。「どのように」行動すれば自分にとってもっとも効率的か、豊かに生きれるか、ストレスが少ないか、を常に考え続けなければならないからです。

でもそれは、とても楽しい、スリル満点の知的作業ではないですか。

前にも書きましたが、(これはmy格言であり、我ながら良いフレーズだと思っていますが)、「変わり続けながら変わらないものを見つけることは可能」なのです。

どんなときでも思考停止してはならない。