完全他力
「完全他力」そして、日々を一生懸命、悔いなく生きること。
完全他力とは、「完全依存」ではありません。なんだかんだで自分が何かに「生かされている」ということを信じきるということだと解釈しています。
自分が生かされているんだったら(自力ではどうしようもないのであれば)堕落していいのか? という問いかけは、無意味です。
「生かされている」というのはベース、大前提です。自分が今、ここに生まれ、そして生きているというところまでは自力ではなく完全他力でした。どこに生まれるか、両親が誰か、ひいては、人間に生まれるかそれ以外の動物か、といったあたりはカンゼンに、自分が決めることではありません。
これについては誰もが異論はないでしょう。
生かされている、そして、自分が無意識のうちに呼吸している、心臓が絶え間なく動いている、五体満足で暮らしている、といった「ベース」を(何かが)やっていただいていることに感謝しつつ、そこから先、豊かにかつ幸せに生きてゆけるかどうか、が自力なのです。
自分の「ベース」に対して感謝の念が起こってこないうちはゼッタイに豊かにかつ幸せには生きられません。感謝の念を起こすためには、「ベース」の部分が完全他力であることを信じきらなければならないのです。
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そもそも僕の心臓は、誰が動かしているのか? を考えはじめると。。
僕の心臓を動かしているのは僕ではない。言い方を変えれば「僕の意識」ではない。
じゃあ誰(何)なのか? ということを、も少し身近に、宗教っぽくなく、考えてもいいと思うのです。家族だんらんの場などで。