元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「自由になれた気がした。。」のつづき

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めずらしく自分のことを吐露しているというか

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いわゆる「フリーター」の頃、オイラはものすごく自由だった。
働くのは週4で、1日10~11時間ぐらい、19時あるいは20時スタートで、朝6時~忙しいときは7時まで。
週休3日でしかも、昼はまるまる空いている。(寝なければ。。)

休みの日は夜、飲んだりするけど、それって感覚からいって朝じゃん! 夕方まで寝てんだから。朝っぱらから飲んでる感じ。

太陽の光を常に「まぶしい」と感じていた頃。それがオイラの「自由」の思い出。
でももちろん、ココロのどこかで「このままではダメなんじゃないか」という思いは、常にあった。そう思えるのも「自由」の特権。

オイラにとっての「青春」ってのは、おそらく学生時代じゃないんだよね。その後の「自由」な時代のことをさす。

学生の頃も楽しいっちゃ楽しかったんだけど。。その後のフリーター時代の、不安に苛まされる感覚もひっくるめた「自由」時代のインパクトがあまりに強すぎて。。 それ以前の過去がかすんでしまった。

その感じは、まっとうに大学出てサラリーマンになってるヤツとは、ちょっと違うような気がする。


でも。。中学は別かな、と。オイラにとって中学時代、特に中3は特別な1年だった、ということは前に日記に書いた。

あの時期は人生においてもっとも「万能感」があったので、そのころの思い出がよみがえってそのときだけでも万能感をふたたび体験できるというのは、歳をとってからは貴重だ。

中学の「トモダチ」はいまさらオイラを縛らない。

オイラが中3の頃の万能感をなつかしむのと、若いサラリーマンたちが「学生時代のサークルの『ナカマ』と飲」んで互いに傷を舐めあうのとは、ちょっと違うような気はしてるんだけど、同じかもね。ま、どっちでもいいんだけど。