元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

オフライン野郎のたわごと

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iPhoneに象徴される、不特定多数の人間に注目される(つまり、とあるギョーカイに閉じていない)シロモノというのは、世の中の大局的な流れの中で、 その大局を読み取るためのヒントとして「ぽんっ」と投げ出され、大衆の眼前に突然出現する。(大衆からみると「突然」のように思える)

まあ、別にさ、「大局」とやらを読み取る必要はまったくないんだけどね。このギョーカイでふつーに生きてゆくのであれば、ね。

でも僕は、僕にとっての何か象徴的な出来事があったとき、「そっち方面」を探るのが好きだからいろいろ考えてしまう。

好きなだけでなく、そっち方面を探る姿勢が自身の仕事に好影響を与えてきたと思っている。
つまり、考えてきたことがほぼ、ムダにはなっていない。周りはね、早急に結果(モノとか)をみたいヒトたちの集まりだから、ただぐだぐだと考えるだけでどうすんの、ってよくいわれるんだけど。

 
現出されてきたモノそのものは、「結果」であって、すでに結果が出ているものをあれこれ探ることにあんまり興味がない。
ムカシはばりばり興味があったけど。

 
 
僕が今、もやもやっと考えていることの思考としてのゴールは何かというと(これは、備忘のために書いておく)

このギョーカイで「オフライン野郎」として最底辺層に棲息し続ける意味とは、みたいなことかな。
それを明確にすること。

あえて明確化するのは、そうやって生きてきた自身への慰み(「それは間違ってなかったはずだ」と。。)の意味もあるし、その意味を、このブログを読んでいる方々の中の100人にひとりぐらいには理解してほしいなあ、というのも正直なところだ。
だって、こうやって公開して書いてんだから。

 
ただ漫然と棲息し続けるだけじゃダメで、そのオフラインさが「個性」として認められなければならない。

もちろん、ある程度カネも稼げなければならない。ボランティアじゃないんだから。

オフラインで野郎であるがゆえに「スキルがない」と烙印を押されちゃっては、ダメなんだよね。
そういう烙印を押されてしまったら自身の客観的評価としての「単価」は上がっていかない。

 
 
このギョーカイってのはたとえれば、不夜城の歌舞伎町みたいなもんだと思う。
常にオンラインっていう意味ではね。

そこに、オフライン野郎(つまり、田舎からやってきた田舎もん)がいかに田舎もんの素朴さを失わないままに、歌舞伎町に染まらずに、その素朴さを個性として周囲に認めさせ、自分が生きやすいように生きてゆけるか。

どうしても最初は、田舎もんだけに、都会に染まろうとムリをしてしまう。ファッションをマネするところから始まって。方言を直したり。。
(僕もいろんな意味で、そうでした)

そこから、ほぼ完全に都会に染まってしまうのもそれでよい。完全に自身を染めるのにはそれはそれですごくエネルギーが必要だからね。
その努力は、認める。

よくないのは、自身が「ズレている」のに気付かないこと。「あいつだっせー」と後ろ指さされていることにも気付かないこと。

もうひとつよくないのは、大した努力もせずハンパに都会に染まろうとしてかなわず、「どうせあのぶどうはすっぱいんだから」と途中で投げ出して逃げ帰ってしまうこと。

周りからみるとゼッタイ「逃げ帰っている」なのに、そうでないのだという言い訳を100コぐらいならべて、自分が敗走している事実から目を背ける。「卒 業」というコトバを使ってお茶をニゴしたりしてさ。「北の国から」の純のセリフみたいに。(でもあのセリフは結局、脚本・倉本聰の叫びだ)

  
  
。。相変わらずいつも、前置きがほとんどすべてみたいな感じだけど、休みの間に「課題図書」として読んだ新訳の「キャッチャー」に今の僕の気分にぴったりな文章があったので、引用しておく。

―店内はやたら静まり返っていた。アーニーがピアノを弾いていたからだ。やつがピアノの前に座っているとさ、やれやれ、それはもうなんか神聖なことみたい な感じなんだよ。いくらなんでも、そこまでたいしたもんじゃないだろうにと、僕なんかは思っちゃうんだけどね。(略)店に入ったときに演奏していたのがな んという曲だったか、よくわからない。でもなんであれ、彼はその曲をとてつもなく俗悪なものに変えていた。(略)僕はすっかり興醒めしちまった。でも演奏 が終わったときのみんなの興奮ぶりを君にも見せたかったね。(略)映画館なんかでちっとも面白くないことにハイエナみたいに大笑いする田舎者がいるけど、 あれにそっくりなんだよ、なにしろ。もし僕がピアノ・プレーヤーとか俳優だったりして、それでもしそんな阿呆どもが僕のことを最高だなんて考えたりした ら、とても耐えられないだろうな。拍手なんかぜんぜんしてもらいたくないね。人ってのはいつだって見当違いなものに拍手をするんだよ。(略)演奏が終わっ たとき、僕はアーニーのことをいささか気の毒にさえ思ったんだ。この男には自分がまともな演奏をしているのかいないのか、それさえもうわからなくなってい るんだろうってさ。でもそういうのって、本人のせいばかりとも言えないんだ。熱烈に拍手する抜け作どもの方にも責任の一端はあるはずだ。そういう連中は手 当たり次第、誰だって駄目にしちまうんだよ。おかげで僕はまたけっこう落ち込んで、うんざりした気持ちになった。―