元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

都心の風景

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僕は、おそらく相当にカネのない頃から勢いで都心に移り住むことで、同世代の方々とは「違う風景」をみることができたのかな、と、今になって振り返っています。

なぜなら、アタリマエのことですが、もう日常から都心なわけですから。

僕は、「ただ」都心に住んでいただけです。生活もきわめて質素に。通勤ラッシュに揉まれる時間が減ったという事実は、僕を相当精神的に解放してくれたような気がしますが。。

特に、日常における「都心」に、何かを求めたわけではありません。「ただ」そこに暮らし、ただただそこで違う風景をみていた。
結果的にはそれが大事だったのではないかと、思います。

うーん、「ステイ」あるいは「凪」といいますか。。
ただただ、ハデにアソぶわけでもなく、ただそこに暮らし、子育てをしていただけなのです。
ハデにアソばない(10時頃には就寝しますし。。)のであれば、なんのために都心に住んでいるのか? と聞かれたことは何度もあります。

何を「大事」と思うか、の認識の相違なのだと思います。

「違う風景」をみる手段として、頻繁にアソびにゆくか、そこに暮らしてしまうか、の違い。。100%の説明ではありませんがそういうことだと思います。

僕は、田舎に引っ込んで「ステイ」することはできない。逆に都心というシチュエーションは、自分(といいますか、人間)に「凪」をもたらすのにふさわしい環境である、ともいえると思います。