元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「遊ぶ」とは「自分の好きなことをする」だったはず

ameblo.jp

「遊ぶ」というのは、「自分の好きなことをする」だったはずなのね。
そこまでは、おおよそ「総論賛成」。

だから、「遊ぶ」っていうのは人によって千差万別のはずなんだよ。

「遊ぶ」っていうのは、「遊ぶ」っていう型があるわけじゃないし、時代時代でトレンドがあるわけじゃないんだ。
それは、文字どおり「流行りのことをする」であって真の「遊ぶ」ではない。


でも、「遊ぶ」にはふたつの意味があって、たとえばスナックのままが客寄せで「ちょっとあそんでって~」とサラリーマンを誘うとか、「ちょっとあそんでくか」とパチスロ屋に入るとか、そういう意味での「あそぶ」ももちろんある。

それはただの時間つぶしだ。オイラの思う真の「遊ぶ」ではない。



「遊ぶ」とは自分の好きなことをする、であるからもちろんそれが「仕事」であってもかまわない。矛盾しない。
これを、わかってない人が多いよねえ。仕事をあくまで「仕事」という概念にしばりつけておきたい、っつーかさ。

自分は何を持って「遊ぶ」か? っていうのは遊びながらでは考えられない。真剣に考える時間が必要。


人生っつーのは「人生は仕事」ともいえるし「人生は遊び」ともいえる。どちらも矛盾しない。

どっちつかずだと後悔の人生になる。