元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

〈日計足らず歳計余りあり〉

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これなんですよ、オイラの座右の銘は。
〈日計足らず歳計余りあり〉
安岡正篤先生の、素晴らしい御言葉を書く。

〈日計足らず歳計余りあり〉日計不足。歳計有余
一日一日の勘定は赤字であっても、一年中の総勘定では余りがある。黒字になっている。こういうふうに計を立てるのが人生大家のやり方である。
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ある地方長官が赴任してきた。

まずやったことは、仕事のほうは、ゆったりした大人型の人物と忠実に働いて仕事のよくできる人物との二人に任せきりで、本人はいっこうに何もしなかった。

このため、「今度の長官はかわり者だ」とよるとさわると噂し合ったが、一年経ち、二年経つうちに、その地方は実によく治まってきた。

それに気づいた民衆が、「偉い長官だ。あの人のすることは『之ヲ日計スレバ足ラズ。歳計スレバ余リアリ』だといって感心した。

つまり、一日一日の勘定では赤字だが、一年中の総決算をすれば、ちゃんと黒字になっているという意味である。

そこで民衆が集まって、この長官を表彰しようということになり、よりより相談をはじめた。ところが、それを伝えきいた長官は喜ぶと思いきや、面白くない顔をしていった。

「俺もも少しできた人間かと思っていたら、こんな田舎の民衆から表彰されるという。民衆の目につくようじゃ、まだまだ俺もダメだ」民衆からほめられたり、 立てられたりするうちは未だしで、本当の「至れる人」というのは、そのひとがそこに居れば、それだけで皆が落ちつく、問題が起こらない。

そういう存在でなければならない、という考え方である。

われわれの人生をふりかえって、老いて「黒字の生涯」となれば、これは道に合った成功の人生ということになるし、反対に一日一日、きびきびやってきたつも りがだったのが、さて死にがけになって、<いったい、俺は何をしてきたのだろうか>というような大赤字になったのでは、これは失敗の人生ということにな る。
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(引用おわり)
「俺もも少しできた人間かと思っていたら、こんな田舎の民衆から表彰されるという。民衆の目につくようじゃ、まだまだ俺もダメだ」
ここなんだよ、大事なのは。