元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

滅私をオシャレに。

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滅私をオシャレに。

なんとかできないものかなあ、と。。最近考えます。

いや、「滅私ことオシャレ」ということでしょうかね。

その姿勢こそが、美しいといいますか。。

そっち方面がオシャレである、というトレンドができれば、一斉にそちらになびくのですが。。
特に日本人は、オソロしいぐらいに全体主義的な傾向を持っていますからね。

皆がヒトにやさしく、とか、そういうキレイゴトではなくて、「滅私」。


オシャレというのは元来、「自分が自分が」という性質と相当な親和性がありますね。
特にファッションというのは、自分さえよければそれでいい、というのが多分にあります。

それが、違うんだよ、と。。


たとえば、似合わない服を着ている人間が増えると、それは社会的公害ですら、あるのです。
クサいニオイを発しているのと同じです。

ファッションであれば、自己満足ではなく、公共の場において他人にどう見られるか、を考えなければならない。それが「滅私」の第一歩です。

ファッション誌に乗っている服を着ていれば、てっとり早く、「同類」の、自称「流行に敏感なヒト」たちにだけは「オシャレ」とは思われるのかもしれませんが。。

前述したようにそれは一般的には単なる社会的公害にすぎません。
ただ、着ている本人が、ファッション誌に乗っている服を着ていることに自己満足しているだけなのですから。


ファッション、装飾といった、ライフスタイルの「各論」から一旦離れて。。
まず「自分さえよければよい」という生き方から脱することができれば、その先に「オシャレ」はあります。

それは、間違いないのです。
そこをもう少し深堀りして考えたいなあ、と。