元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

行動を起こせるか?

stevengerrard.hatenablog.com

 

ヒトというのはけっこう、まともなことを考えているものです。独りのときは。

「まともなこと」というのは「正しいこと」ということです。

だから、問題とすべきはその正しいことを実行できるかどうかなのです。

周りに流されずに。周りに流されていることを言い訳せずに。

特に、企業組織にからめ取られてしまうと、正しいことを実行するのはムズカしくなってきます。

(そもそも、なぜそうなってしまうのだろうか? ということは、別途考えてゆかなければなりませんが)

あるいは、現代の日本人のほとんどがそうなってしまっていますが、マスコミに都合の良いように洗脳されてしまうと、同じように正しいことを実行できない身体になってゆきます。

前者にも後者にも共通するのは、「横並び主義」という使い古されたコトバ。。

言い訳しない、というのは大事なポイントです。

自分の意に反したことを行っているなあ、とわかるとき、ヒトはゼッタイに言い訳をします。

ですから、まず言い訳を封印すること。

言い訳を封印すると、ガス抜きができず苦しみますから、自然、(まっとうなヒトであれば)言い訳を必要とする行為を避けるようになってきます。



コドモのときの訓練が大事なのですね。

学校というのは「横並び」の強烈な圧力がかかる場です。コドモにとってのそれは、オトナになっての為政者の庶民に対する圧力よりもキツいはずです。

なぜなら、コドモにとってはその場がほとんどすべてだから。

そこで、自分の正しいことを行い、それを続けてゆく「訓練」をやってきたかどうか。

あるところではツッパり、あるところでは引く、という「加減」を学んできたかどうか。

学校は楽しいところ、とかいいますけど、確かに横並びでアソんでる子らは、まったく「気付き」がないのですからそれは脳天気に楽しいでしょうが、「訓練」をやっている子らはそんなに楽しくはないと思います。

楽しくはないけれど、自分は自分が思うようにやっている、という自信があれば乗り越えることができます。

なんとなく反抗期がなく、それほど葛藤もなく学生時代を過ごしてしまったヒトは、致命的かもしれませんね。