元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

すべてつながっている


すべてつながっている|(改題)ひとり公論

僕は福島出身で東京に暮らしていますが、高校を出て上京してきました。(実際は横浜)
大学を出たとき、そして、20代後半にかなり大きな病気をしたときの2回、「田舎に帰るか? 東京にとどまるか?」の選択を迫られたことがありました。
ですが、「田舎はゼッタイにいやだ!」というネガティブな理由により東京にとどまり、今に至ります。
田舎で就職したらたとえばその会社のどこかの支店勤務を命ぜられ、そこが三陸だったら被災したかもしれない。あるいは死んでいたかもしれない。自分が死んでなくとも家族を亡くしたかもしれない。

「田舎はゼッタイにいやだ!」という気持ちで東京に残り、結果的に生き延びたようです。それが正しいのか否かは、問うべきではないのでしょう。僕の(人間の)人生に基本的に「if」はないのですから。
結果的に、そうなった。僕は常に、自分にとって最良の選択をしている。

本当に書きたいことは。。自分が、震災があってから極端な愛郷心が生まれてきたことへの驚き、といいましょうか。。そういうことがなければ愛郷心が(死ぬまで)起こらなかったであろう、という諦観。
僕だけではないのでしょうが。

愛郷心が起こったからといって田舎に物理的に戻ろうとは思っていない、という自分。。そういう自分を責めてもしょうがない。
東北出身の人の多くはこのような感情を抱えているのかもしれません。いずれにせよ事実として、田舎のあの閉鎖的な社会は未だ好きではないのです。それを、震災を契機に好きになれ、というのも難しいことで。