元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

足るを知ることが、自身の成長をさまたげてしまう?


足るを知ることが、自身の成長をさまたげてしまう? - 元祖【ひとり公論】

いつも不満足感の塊で、ギラギラしてしていなければ成長はない、と考えているヒトが多いというか、多すぎといいますか。

なぜこのような間違った考え方が、広まっているのでしょうか?

いや、疑問型で書いてしまっていますが、なぜかはなんとなく、わかります。自分もその考えにどっぷりハマってきましたので。

「足るを知る」イコール「上がり」ではないのです。足るを知り、次のステージへ向かう「踊り場」にたどりつかなければ、次がないのです。

つまり、一足飛びに自分が望むステージに行くことはできないということです。ひとつひとつ、ステップといいますか、中間のゴールがあり、最終的に目標地点に到達する。

これといった苦労もせず、身体や精神に負荷もかけずに、即座にゴールにたどりつきたいと考える人間が増えてきたのは事実ですし、それにつけこむ商売がますます横行してきたのも事実でしょう。

では、不満足感の塊でいつもギラギラしていたら一足飛びに目標まで到達できるのでしょうか?

そういうギラギラしているヒトというのは、90%以上が人生の目標は物欲の充足ですから(わかりやすいといえば、わかりやすい)、まずそのためにはカネを稼がなければならないのです。

そこで「一発当ててやろう」と考えてしまう。。

百歩譲って「一発当ててやろう」精神を肯定したとしても、そのための準備は必要ですよね。

その準備というのは宝くじを100枚買うことではない。ゼッタイに。



次のステップがカンゼンに見えていて、そこに到達するまでの方法論も認識していて、それでギラギラしているのであればOKだと思いますが、そのようなヒトはいません。なぜなら、ゴールがみえていて、そこに到達するまでに何をすればよいかもわかっているヒトからは「ギラギラ感」が消え、余裕が出てくるにきまっているからです。

ギラギラしているヒトはそもそも目標が見えているのでしょうか? 到達までの方法論どころか、目標すら見えていないからこそギラギラしてしまうのでは?

まずは書き出してみることだと思われます。それが第一歩です。