ホメるとつけあがるか?
僕らは、そしてこのギョーカイにおいては、独りでは仕事はできません。
自分がつくりたいシステムがあるとしたら、上に稟申しなければならない。チームを組まなければならない。お客様にカネを出してもらわなければならない。ベンダーに構築してもらわなければならない。プログラムはレビュープロセスを踏まなければならない。
そして、システムは、使ってもらわなければならない。
「システム」というのは単なるフリーウェアではないので。。
仕事ができるヒトというのは、このギョーカイにおいては未だに「卓越した技術、スキルを持つ人間」という幻想がはびこっている。
でもやっぱり、真に「仕事ができる」というのは、それは「パートナーシップ」のことを指すんだろうなあ、というのは、最近あらためてわかってきたこと。
「みんなで仕事をやれる」ということ。コトバにすると、カンタンである。
「技術、スキル」というのはチームやステイクホルダと仕事をしてゆく上でのツールにすぎない。
そして、数年前まではこの「パートナーシップ」が、ヒトを「使う」という意味だとカンチガイされていたように思う。
つまり、「仕事ができる」ということがイコール、ベンダーや部下に仕事を納期どおりに「やらせる」ことができる、ハケンにお茶くみを「させる」、協力会社に徹夜「させる」、などなど。。
びしばしと仕切る! 「従わせる」能力。そして「従わせる」ための政治力、肩書き。。
横文字でいえば「リーダシップ」なんだろうけど、リーダシップというのは威張り散らしたり仕切ったりコキ使ったり使い倒したりすることとは、カンゼンにイコールではない。(そういうのも含まれるけどね)
真のリーダシップとパートナーシップというのは、非常に近い概念である。
取引先、ベンダーに対して。。
かつては「ヤツらをホメるとつけあがるから、ゼッタイに賞賛のコトバはかけない」という人間が大半だったね。
今はどうだか、わからんけど。。(おそらく今もそうだろうな)
「取引先」とかいっても結局「下請け」だと思ってるから。
部下に対しては、どうなんだろう。。自分はフリーでやっているので、部下っていう存在をほとんど意識したことがない。
フリーでやっているということは、たとえば会社に常駐しているのだとすれば周りはすべてビジネスパートナー、つまり「取引先」ということだ。
でも、僕が渡り歩いていた現場において、上司が部下をホメる文化というのは、ほとんど目撃したことがない。ホメられなかった部下は、上司になっても自分の部下をホメることは、ないだろう。
「ホメるとつけあがるから、ホメない」っていうのは、カンゼンに間違っている。
ホメるとつけあがる、というのはね、もしかしたら当たっているかもしれない。だって、人間だもん。
ホメるとつけあがるようなベンダとばかり取引しているというのも、カナしいことだけど。。
まあそれは仕方ないとしても。
「つけあがるから、ホメない」というところが、間違ってるんだよね。
ホメてもいいじゃん。しばらくつけあがらせておいてもいいじゃん、と、思う。
ホメて、つけあがる(「つけあがる」とまではいわないけど、「緩む」というか)のであれば、その手綱を締めるところは、常に先手を打ってやっておかなければならないわけでね。
そんなのはアタリマエのことで。それこそが「リーダシップ」の一環であろう。
ホメようがけなそうがバカにしようが、常に手綱は締めておかなければいけない。
「ビジネス」なのだから。
手綱を締めながらも、ホメ続けるのが肝要。
でもね、
ベンダーさんには、ココロから「いつもお世話になっています」という気持ちで接するのが非常に大事です。
結局、それだけなんだよ。
別に、それをおおっぴらに言う必要はないんだけど、常にそういう気持ちでいるべきだということ。
電話であれば、ビジネスの慣習で、最初に言うでしょう?「いつもお世話になります」とかなんとか。
メールでも、「お世話になっております」というのは半ば定型句と化しているけど。。
ちょっとだけ、ココロをこめていってみたり、書いてみたりしてみるといいですよ、ということ。
ダマされたと思って。。
そして、仕事をしてもらったら「ありがとうございました」という。できれば「御社のおかげで助かりました」というコトバを添える。
そういうことを習慣づけてゆけばいい。それだけでいいのです。
周りがやっていなかったら、自分だけでもやってみる。
僕が今、書いていることを「キレイごと」で片付けてしまうビジネスマンや会社には、この21世紀においては進歩はない。未来はない。間違いなく。