元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

メールチェックの逆差別


[再録]メールチェックの逆差別 - シニアICT土方の【IT公論】

僕は、たとえキレイごとと言われようが、「誠実に」仕事をしようと思っている。
その一環として、メールは読む。着信したらなるべくすぐ読む。そしてできる限り反応する。(メールの内容がようわからんかったら電話する)

そして最近、「メールチェックの逆差別」に立腹している。
要するに、僕はメールをすぐ読むし、すぐレスも返すから「アイツヒマなんじゃね?」と思われてしまう逆差別。


もうひとつ、立腹しているのは、諸々の諸連絡を、忘れてしまうから(履歴が残るから)メールで送ってくれ、と常々いってるクセに、「どうなりましたか?」と聞きにいくと「(メールがたくさんきすぎて、オマエのメールなんか)読んでねーよ!」と。
「急ぎならメール出しっぱじゃなくて言ってこいよ! ジョーシキだろ?」と。

それどころか、そのコトバのウラには「オレは(すぐにメールにレスできる)オマエみたいにヒマじゃねーんだよ!」っていう思いが透けてみえる。

そういうヤツに限って、自分の上司のメールとか、重要な取引先からのメールは真っ先に開いて、きっちり読んでる。
ヒエラルキーで差別してるわけね。
なんかそういう姿をみてると「器がちっせー」と思うんだけど気のせい?

僕は、メールは受信順でまず読むから、送信者で選別するっていう感覚がようわからんのだよね。読んで、Pendingボックスにいれることはあるよ、そ りゃ。でも別なハコにいれちまったら忘れちまうのは明白だから、なるべくその場でレスを返す(あるいは電話する/直接「これなに?」と聞きにいく)ように はしている。

あ、単なるNoticeメールは違うよ。ここで書いているのは、誰かが僕個人に意図があって連絡してくるメールのこと。
Noticeはななめ読みしてばんばん【済】ボックスにほうりこんでゆく。
Noticeなのか自分に対するToなのかを判断するためにも、「まず読む」というのは大事だよね。
あ、そうそう、僕は数年前からメーラーの自動振り分け機能はあまり使わないことにしている。完全なNoticeメール以外はまず受信ボックスに落ちるようにしている。

誰かにビジネス上で物事を伝えるとき、メール&電話があたりまえになってしまって、めんどくせーのなんのって。。単純に負荷は2倍でしょ?
それどころか、メール&電話&直接会話で3倍になることもある。さらに「認識あわせのための打ち合わせ」が加わって4倍、5倍になってゆく。
コミュニケーション・オーバヘッドは、ここ数年どんどん増大している。

でもね、「まず読む」というのと、よくわからなくともとりあえずレスを返してみる、ということを励行することによりこのオーバヘッドは減らすことができると思うよ。
まァ間違ったプライドを身にまとっている一部のヒトたちにはできないことだろうけどさ。。 まず読むことが「負け」みたいな風潮は、醸成されつつあるような気がする。


メールというのはもはや必須コミュニケーションツールなんだから、メールを読んでないということでもっと社会的にプチ制裁を受けてもいいと思うんだけどな。
「(こちとらイソガシくてメールなんか)読んでねーよ!」という逆ギレを許さないというか、それに対して逆逆ギレしてそういうヤツを排斥してゆくようなビジネス・シーンになってほしいな。


誠実に、迅速に対応しようとする人間のほうがバカをみるこのギョーカイ。。(このギョーカイだけじゃないかもしんないけど)
「バカをみる」というかね、「ヒマだと思われる」のはビジネス・シーンにおいては屈辱だ。

メールはね、読む気になってりゃ、読めるよ。「イソガシくて」メール読めないってのは、120%言い訳。
処理能力を超えるぐらいのメールがきているであろうエグゼクティブは、速読だし、かつ朝に読んでるよ。そして、速読でかつ理解してる。
グリーン車で通勤して、モバイルで車中でメールチェックしてるよ。そこまでやってる。
そこまでやれるからこそその地位にいるんだろうけど。。少なくとも下っ端よりは、メールの重要性、そして「誠実に仕事する」ことの重要性を身体で理解しているのだろうな、と思う。

イソガシくてメール読めないなんて、それこそ、自分は仕事ができないヤツですってことを露骨に暴露してるようなもんだと思うんだけど。。
メールの洪水から逃げてるだけでしょ? このギョーカイでメールから逃げられるわけないじゃん。

仕事ができねーというよりは、もっと具体的にいうと、時間管理、自己管理ができないってことかもしれないよな。(そこがエンジニアの苦手なところではあるが。。)

でも、生産性が低いだけのはずの「イソガシくてメールも読めない」人材はなぜかニアリイコールで仕事ができると思われているという現実がある。それはなぜだろうか?