元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

外国ってホントにあるのか? というマジメな話


[再録]外国ってホントにあるのか? というマジメな話 - シニアICT土方の【IT公論】

20年ぐらい前のできごとをまた思い出して。。

大学時代、同級生んちに遊びにいったんだよね。中学高校の同級で、そいつは別な大学にいってて一緒の時期に上京したんだけど、家は遠かった。オイラは横浜でそいつは東京のはずれだった。

深夜にぼけーっとそいつんちでテレビみてて、外国のハイジャックか何かの映像だったんだよね。それがリアルタイムのニュースだったのかそういう系のバラエティだったのかはおぼえていないのだが。。

で、そいつは、「外国の話はみんなうそかもしんないじゃん」みたいなことを、言ったのだ。

つまり、未だに、1969年のアポロの月面着陸は芝居だったと言い張る人がいるのと同じように、ニュースとかで流されてくる外国の映像もみんなでっちあげかもしれない(どこに証拠があるのか?)と。

その瞬間は「あれコイツってこんな馬鹿だったっけ?」と思った記憶がある。オイラはホームステイで「外国」にいったことがあって、その記憶はリアルだったし、生々しかったから、そういう外国の映像は皆ウソでは? という説には「馬鹿じゃないの?」のひとことで終わった。
そいつが、それまでの人生で外国に行ったことがあったのかなかったのかはわからないが、おそらくなかったんだろう。


で、この話をふと思い出したと同時に、この同級生の話は「一理あるかもしれない!」と思った。40になってみると、あながちただの馬鹿の発言ではないかもしれない(笑)、と。。

いや、「外国」というのは、ある。リアルに存在するのは間違いないのだろう。そこは揺るがないのだが、「世界というのは相対的なものに違いない」というのは、年取ってからなんとなくわかってきた。

自分の目で見ている世界と、隣人の目で見ている世界は絶対的に相違がある。そして世界は絶対的なものではない。

たとえばオイラはカムチャツカ半島の小さな漁村(てきとーにいってる)に行くことは一生ない。だからオイラの目、オイラの世界にその村は存在しない。物理的には存在するのだろう。それを信じるのはやぶさかではない。でも、オイラの世界で存在しないのだから、オイラにとってみればそこはおとぎの国の世界、竜宮城とおなじ位相にある。
マスコミが世界のニュースとしてカムチャツカ半島の小さな漁村の生活を伝えたところでそれは映像の世界にすぎないから、オイラにとっては映画と同じだということ。

ただし、その映像がオイラをその場所に引き寄せ、オイラの人生に変化が生じるということは、ある。