元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ダブル・スタンダード(序論)


ダブル・スタンダード(序論) - 元祖【ひとり公論】

ダブル・スタンダード」のハナシは最近自分にとってムズカしく。。

考え始めたばかりというのもありますし。

つまり、自分には、明確にではないけれど、「こうありたい」という像が常にあり、それに向かって努力しているわけですね。

そこに向かう手段として、まず、「なりきる」というのがあります。

たとえば、エグゼクティブになりたいのであれば、まずはエグゼグティブの気持ちになって、エグゼクティブの生活をしてみる。そうすれば徐々に自分が望むエグゼクティブになってゆく、という手法です。

これはきわめて有効な手法なのですが、その、なりきっている期間、言い換えれば「なりきってはいるが、なっていない」状態が長くなると、自分の中である種の「乖離」(もっとキツい言い方をすれば、「分裂」)が発生するわけです。

そして、この「乖離」があまりにも慢性化してゆくと、これは神経症を引き起こします。

なりきっている状態のときは、周囲は騙せます。「騙す」とはコトバが悪いですが。。

つまり、なりきっている状態というのは、近未来の自分の立ち位置を「先取り」しているわけです。その状態に対して他人は、期待したり、お願いにきたり、等々の接触があり。。

いってみればまだ未成熟な状態で人間関係が形成されてゆくわけです。

この、未成熟な状態で人間関係を営んでゆくのは大変キツいことですが、これによりドライブをかけて、自分が望む人間に近づいてゆけます。

ですので、必要なプロセスではあるのですが。。

前述したとおり、そのプロセスがあまりに長く続くと。。 ずっと演技をしているような状態になるわけですね。

「自然」ではないわけです。この「自然」でない状態というのは、人間に相当なるストレスを及ぼすようなのです。

僕はだいぶ、苦しみましたし、もしかしたら今も現在進行形なのかもしれません。