(畏れ多くも)孔子
孔子という人物は、世を治めた人物ではないのです。
社会の木鐸として人生をまっとうしたわけです。
ということは、孔子という人物が何が偉大かといえば、自身が社会の木鐸という存在で「いられる」環境を死守したところなのでしょう。
自身が動きやすいように自分の立場を固め、そして守るというのが、実はものすごくタイヘンなことです。
頑なに自分を曲げないのではなくて、自分を曲げる必要のない環境に身をおく(移動しながら、放浪しながらそこにたどりつく)、もしく は、そういう環境をつくりだす、あるいは、そういう環境に自らが変える。
今、3つ書きましたが、どれもタイヘンなことです。
孔子は、相当強力な政治的圧力を、かわしながら生きていたという印象があります。
「論語」の文言ではなくて、見習うべきはそういう生き方そのものなのでしょう。