元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

他力はダメ、というたとえ話


他力はダメ、というたとえ話 - シニアICT土方の【IT公論】

100kgの重い荷物を延々と3人でひっぱる仕事がありました、と。
ひとり悪玉がいて、「こんな仕事やりたくねー」とぶつぶついいながら、たまに力をゆるめてサボりつつやっている。

たまに力をゆるめると、他の2人にはそのたびに1.5倍の負荷がかかるわけじゃない。

でもその2人は、「責任感」から、頑張ってひっぱり続けるわけでしょ。

そして悪玉は、自分が力をゆるめると他の2人に1.5倍の負荷がかかることは、当然知ってる。知ってるけど、やる。「自分がやりたくないから」というだけの理由で。

その2人は、そういうことが続いたらもうやめちゃえばいいと思うんだよ。ふたりで、ね。連帯してやめちゃうというのが重要。独り独りだと、弱いから。

突然残りひとりになれば、もう残りの悪玉は、ひっぱれないでしょ。そこで、「助けろよコノヤロー」とか悪態をつく。最初は。

でも、そこで助けなければ、だんだん敬語になってくるんじゃない?「すみませんでした助けてください」ってさ。

それでも無視してもいいと思うんだよ。だって、それまでにその悪玉が、他の2人に対して行った仕打ちはどうなる? 社会的に、それを水に流していいのかよ、と。

ひっぱれなくなって悪玉がひいこらいってるときに、親分がやってくる。その親分が、わかってる人間だったら、他の2人に「すまなかった 復帰してやってくれないか」とかいうよね。そこで初めて、復帰していいっていうことなんだよ。
プライドも保てるし、あわよくば給金も上がるかもしれない。

でも、親分が人としてなってない場合、悪玉が「アイツらサボるんですぅ」とか涙ながらに訴えたりしたら、他の2人に怒るだろう。「テメーらサボりやがって! 戻れ!」と。

そしたら、いともカンタンに「こんな仕事やめます」ってさーっとやめちゃえばいい。

そしたら、そのエラソーにしてた親分が、2倍の力で引っ張り続けなければならない。それでいいんだよ。エラソーにしてるのが悪いんだから。
それに、「親分」なんだから、2倍の力ぐらいあるでしょ。

やがて親分は、仕事しながら、悪玉がどれだけ仕事をサボるクセがあるのかを知り。。
だが、悪玉をクビにしたら、自分が3人分の力で引っ張り続けなければならなくなるからクビにもできず。。

他の人間を雇おうにも、その仕事につきっきりにならなければならないから、できずに。。

結局無限ループにはまる。そして、「ああ、あいつら2人をやめさせなければよかった。。」と、心から思うんだ。


その親分は、その悪玉を、「ポテンシャル」で採用してるわけでしょ。やればできるはず、と。それに賭けたわけさ。
でも、確かにその悪玉は、「やればできる」けど、サボりグセがあることは、見抜けなかった。
そして、仕事を続けてゆく中で、親分は、そのサボリグセに気付こうともしなかったし、矯正もしなかった。

そのツケは、悪玉本人と親分と、どちらもかぶらなければならない。