元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

僕が都心にこだわる理由


[重要]僕が都心にこだわる理由|(改題)ひとり公論

僕が都心にこだわる理由というのは、この日記で何度か書いていると思うのですが。。
都心というのは物質主義、マテリアル・ワールドの中心でもあるわけです。あえてそこに身をさらすことにより、「悟り」とまではいかないにせよ、これだけ情報が氾濫し、誘惑が多い中で(日本でいちばん「誘惑」は多いでしょう)「ふつーに」暮らす。
それが僕の目標になっています。

ムカシは「都心で仙人」を目指していたのですが、このコトバの選択は若干間違っているかな、と。
情報の洪水に対しても、いろいろな誘惑に対しても、さらりと受け流して、動じずに、ホント「ふつーに」暮らす。
「質素に」というコトバでもよいかもしれません。


逆に考えれば情報の洪水なりいろいろな誘惑がたくさんなければ、やりがいがないというか。。この本でオウムのことをいっているとおりで、悟るのであれば俗世間で、悩みに悩んで悟らなければ意味はない。
俗世間から離れたところ(たとえれば「山」)に篭って悟っても意味はない。

誰のコトバだったか。。おそらく中沢新一さんだったと思いますが、修行僧は山に篭って悟ったら、俗世間に降りてこなければ意味はない。
山で悟ったつもりになっていても、俗世間に降りてきてもそれを持続しなければ意味がない。
そういうことなのです。

という意味で「良寛さん」という人物が未だに評価されているのでしょう。