元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

あの日のこと。


あの日のこと。|龍澤ヒデアキのバックドア

地震直後に運良くタクシーを拾うことができ、勝鬨橋に向かって走りだしたはいいものの、余震でグラグラ。そして、5~10分後には大渋滞が始まりました。クルマがほとんど動かなくなった。

その時点では都内の電車が全部止まったなんていうのは全然わかってなかったです。ラジオはとにかく、東北ですごい地震が起こった、津波に最大限の警戒を! を繰り返すばかり。この繰り返しが、なんだかまるで「戦時中」のようでした。(僕は戦時中を知らないのですが、イメージとして)

家には何度かけてもつながらず、電話はあきらめ。。(どうせもうすぐ帰るんだし、と)

僕はもしかしたら、乗り合わせた運転手さんにも恵まれていたのかもしれません。もうおじいさんみたいな感じでしたがノリがよくて江戸っ子で、もうとにかく、車線に空きがあれば割り込んでゆく。荒い運転でしたがなんだか頼もしかった。少しずつ目的地には近づいてゆきます。

そのうち、冷静にいろいろ考えるようになります。まず、子供たちは大丈夫だろうか? と。ちょうど下校時刻の頃だったので、無事学校(それと幼稚園)にいてくれるといいのだが、ちょうど外にいたらマズいなあ、などなど、ぐるぐるといろいろ考えましたが、とにかく、まずは子供らの迎えにいかなければなるまいという結論に。特に我が家は長男が遠い小学校に通っているので。

そして、冷静に考えると。。タクシーに乗ったはいいがお金がない! 財布は、おいて飛び出してきてしまいました。ポッケには千円札1枚と小銭がそれなりに。。運転手さんに、家についたら間違いなく払いますから、と正直にお話しました。

ゆっくり進みながら世の中を見渡すと、どんどん、オフィスビルから人が出てきていました。それはもう、すごかった。どこもかしこも、避難訓練のように人人人。しかも、ほとんどの人たちは笑っています。正直「なんで笑ってられるんだろ?」と思いました。でも今考えれば、もう笑うしかないですよね。

この時点からしばらくは、おそらくほとんどの会社では余震を警戒して待機指示が出ていたはずで、あの歴史的な「歩道大渋滞」が発生するのはまだ先でした。まだまだ、幹線道路の歩道は空いていました。

そういえば、いい天気だったですよね。。不条理なほどに。地震直後、東北に津波がきた頃に、東京も瞬間的に雨雲が立ち込め、軽い嵐になったのです。(おぼえてますか?) あれこそが天変地異だと思いましたね。皇太子妃雅子さんの結婚パレードのときに、土砂降りだったのにも関わらずパレードのときだけ、一条の光が差し込んだあの瞬間を思い出しました。

僕は、今考えると、たぶん「世界の終わり」みたいな状況を、少し期待していたんだと思うのです。でも、結局僕が会議していたビルも無傷でしたし、タクシーから世の中を見渡してもどこも崩壊していない。ラジオでは、台場で煙が上がっている! とセンセーショナルに報道していましたが、なんだ、そんなもんか、とちょっとがっかりしている自分がいました。なんだろう、なんかヘンにハイだったような気がします。運転手さんとふたりで。

実際、東北では「世界の終わり」みたいな状況になってしまったわけですけど。。それがすごい、複雑な感じがします。やっぱり、東京がもう少しハデに崩壊してもよかったんじゃないか、崩壊するべきだったのではないかと、今でも思っています。なのですが自分の家だけは崩壊してほしくない、というのが「複雑」なところで。でも、東北があそこまで酷い状況になる必要はどこにもないじゃないか、と。自然災害に「必要」性もへったくれもないのですけれど。

僕は、僕だけかもしれませんが潜在的に戦後生まれであるということにコンプレックスがあったと思うのです。戦争を経験している先達たちに対する引け目のようなものが。何の苦労も知らずにぬくぬくと育ってきたことに対する何か。。だから、それ(戦争)に匹敵するような「何か」を、僕(ら)は経験したかったのではないかな、と思うんですね。もちろん、潜在的に、ということですが。何か、むちゃくちゃに壊れて、一旦リセットしてくれないかな、みたいな。。(という意味では、むちゃくちゃに壊れる「場」としては東京がもっともふさわしいはずなのですけど)

世の中は本当に、僕が想像していた以上の、悪い意味での「未曾有の」状況になりつつあったのですが(僕がタクシーに乗っている時点ではまだ東北に津波は到達していなかった)結局11日夜の時点まで、死者の発表もぽつぽつで僕はコトの重大さがまだわかっていなかったです。

さて、いつもの3倍の時間と金がかかりましたが、我らが勝鬨橋も無事であることを見届け、自宅マンションに無事到着。それが15時40分ぐらいでしたね。自宅マンションが無事で、傾いていないのがみえたときはさすがにほっとしました。それにしても、財布さえもっていれば、もう1キロ手前ぐらいでタクシーから降りて走ったほうが絶対に早かったのに。。家から金を持ってくる必要があったので、きっちり自宅前までタクシーをつけるハメになり、かなりの時間をロスしました。

全力ダッシュで階段を駆け上がり、家に飛び込んで家内と末っ子(まだ小さい)の無事を確認。かなりの額(多め)を握りしめてまた猛ダッシュで階段をかけ降り、運転手さんにチップをはずんでまた全力ダッシュで上へ。ハイになってるのでぜんぜん疲れない。

家内はちょうど台所の片付けをしていたところで、落ち着いて気丈にやってくれているので一安心。我が家は物品被害はけっこうありました。台所の皿関係はけっこう割れました。本棚はそれなりに(本はぐちゃぐちゃ、でもそれは被害というほどのことではなく)