元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

予定を守ることによる達成感


2012-05-28 - 【ひとり公論】([新庶民]論)

半ば「頑な」に予定を守り、予定通りに一日が終わること(「積み残し」がないこと)によって達成感を得る。最近の自分はこれを日常の楽しみとしているフシがあります。

逆に考えると、何かしら積み残しがあると、(「バナナ買うの忘れた!」とか、そういうレベルですが。。)1日の終わりに何か不愉快な感じが残ります。ですので、予定を守るということは、1日の終わりに不愉快感を残さないための自己防衛手段であるともいえます。

が、これについて、何を差しおいても自分の予定を守ろうとすることに対しての批判があります。つまり、「彼ら」から言わせれば「柔軟性がない」ということです。予定外のイベントを受け入れないというのが、余裕がないと見えるのか、ヒトとしての器が小さいと見えるのか、まあ、いろいろな意見があるでしょうが。。

「偏執狂」に近い見方までされることもありますね。

個人的には、「柔軟性」というコトバ自体キライになりつつあります。

世の中に流布している「柔軟性」というのはほとんど、間違っているからです。それは、モノゴトを自分の都合のいいように解釈する、ということです。

「予定」というのは、おおよそですが、外部に公開しているものです。「外部に公開」というのは大げさかもしれませんが、雑談でしゃべっていたりとかそういうレベルでもよいです。この日は何をする、ということをすでに宣言しているのに、それに対して、急遽何かしらの予定を入れてくるヒトたちがいますね。あたかも、急に入ってくる予定のほうが優先されるべきだ、みたいな顔をして。。

そんなとき自分は、その直前ですでに決まっていることを優先させたい、と考えます。そこで、その急な予定に「迎合」することは「柔軟性」などではないはずです。

予定というのは本来、早いもの勝ちというか、先に入ったものから優先されるべきです。その「正論」を貫きとおして何が悪いのか、ということ。

そもそも、その考え方に対して「カタい」とか言われるんでしょうね。。

でも昨今の日本人に足りなくなってきているところでしょう。そういう「頑なに固辞する」とか、そういう意志表示をするというのは。