元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

健康について真正面から語る(4) 健康とシステム


[引用]健康について真正面から語る(4) 健康とシステム|龍澤ヒデアキのバックドア

健康を迎えにゆく必要はない。
いろいろな、生活における余剰をそぎ落としてゆけば、自然と健康になってゆくということです。

「迎えにゆく」というのは、たとえば、積極的にジョギングやスポーツなどをすること。
わざわざ高いカネを払ってジムに通ったりすること。

そういうことは、健康のためにはやらない。
スポーツというのは、健康のためにやるのではないのだ。擬似的にアスリートになるためにやるのだ。
つまり、「ファッション」に近い。

 
あんまり報道とかされないけど、スポーツにより身体を痛めるヒトが後を絶たない。
この事実は、おそらく世の中から隠蔽されている。

僕の、超狭い交友関係の中ですら、そういうヒトがいる。ラグビーで車椅子になっちゃったとか、野球で、肩の酷使で一生肩が上がらないとか。
それと、(元)スポーツマンで多いのは、腰痛を持病として抱えちゃったとか。

スポーツの良さばかり取り上げられて、そういう暗部が公にならない。たとえば、部活のシゴキもそうだし、高校野球における、監督接待(息子をレギュラーにしてもらうために接待する)とか。

大学のラグビー部が、実はさわやかなスポーツマンの集合体ではまったくなく、どれほどいかがわしくキケンな存在かっていうのは、いくつかの暴行事件や不祥事(大麻とかね)を経てやっと一般にも浸透してきたけどね。

 
まァそういったスポーツの暗部については機会があったら述べるとして、とにかく、学生時代とかのスポーツにおける事故により、一生を棒に振る、とまではいかないけど一生の「持病」を抱えてしまっているヒトというのは、世の中にホントたくさんいるのだ。
健康になろうとしてスポーツにのめりこんでしまったせいで、一生不健康になる。不条理としかいいようがないね。。

一生不健康ということは一生「幸せ」にはなれないということだ。

 
健康を迎えにいかないという観点では、栄養剤やビタミン剤を摂取しない。わざわざ「有機野菜」なるものを意識して摂取しない。そういうのも大事。

カルシウムが足りないからといって無理やり牛乳を飲んだりしない。
みのもんたに扇動されて健康食品を我先にと買い求めたりしないように。

そういう行動って、「不自然」なんだよね。
不自然な行動をしていれば健康にはなれない。

 
食事は、絶対量を減らしてゆくだけで十分。
減らす際に気にしなければならないのは、食事の内容を質素にすること。

質素にするというのは、安く上げるということ。
安く上げるためにどうすればよいかというと、まず同じローテーションにすればよい。

安く上げる=カップラーメン とかいう短絡的な図式ではない。
(毎日カップラーメンでは高くつきすぎる!)

質素に、同じローテーションで、ということを突き詰めていけば、自然、肉が減り、野菜の摂取が増え、自炊が増えてゆく。

 
それでストレスがたまってきたら、週末にでもぱーっと外食をする。たまには焼肉をがっつり食べる。
別に僕らは、この現代社会においてベジタリアンになる必要はどこにもないのだから。
外食において栄養のバランスなどを考えるのは、愚の骨頂である。

 
たとえば土曜の夕食は外食、というふうにローテーションを決めてゆく。そうすればちょっとした外食だって、楽しみになる。

という意味では、健康になるというのは昭和に戻るということでもあるのかなあ、とは思う。
コドモの頃、日曜昼のデパートの大食堂での外食というのは、ホントに楽しみだったなあ。。
(今考えれば、特においしかったわけでもないんだろうけども。。)

 
日々の食事において、有機野菜とか無添加とか、そういう枝葉末節にこだわる必要はまったくない。
そういうところにこだわりはじめるとそもそもライフスタイルにムリが出てくる。
(得意げに「エコ」がどうのこうの、と言い出し始めるイタい人種になってしまう)

有機野菜とか、そういうものは一種の嗜好品なのだ。だってまず、高いしねえ。。

 
 
健康のためにスポーツを激しくやって身体を壊すという矛盾と、健康のために積極的に「有機野菜」とやらを摂取して、そのせいでライフスタイルのバランスそのものを崩してトータル的に不健康になる図式というのは、似ている。

マスコミに踊らされないように。
スーパーで安く売ってる野菜を選んだからといって早死にはしない。