元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

信仰について

信仰について

宗教とか信仰について、たまに書きたくなるんだよね。。 今日は、所用で某宗教色が色濃い政党の方と話をしたので。。

宗教、信仰とは本来、とても個人的なものだと思うのね。という意味では、ヒトを誘ったり、集団で行動するといった類のものではないはずで、ヒトを誘ったところでそのヒトは同じ信教で幸せになるとは限らない。

自分は宗教に対してふつうのヒトよりは偏見もないし恐れもない。でも自分は何にも帰依しないし、何にも属したくない、と強く思っている。

ところで、幸せとは本来自らがつかみとるもので、そのために宗教、信仰というものが何らかの手助けをできるのであれば、それはそれでいいと思うんだけど、ホントに手助けにすぎないのであってそれが目的化するというか、依存するべき対象ではないんだよ。
それをわかってないヒトが多いんだよなあ。。自分を常に客観視してるつもりでも傍からみるとぜんぜんできてない、っていう。

自立している個にとっては宗教、信仰という心のよりどころ、ベースラインはおおいに武器となる可能性はある。それは心の安息をもたらすツールであればよい。それ以上でもそれ以下でもなく。
昔のヒトで、朝の日課として般若心経を唱えたりしてるけど、そのような感じで宗教が日常に介入してくるのは、いいと思うんだよね。朝の日課としてラジオ深夜便の「こころの時間」を聴くでもよし。

大切なのは「ヒトはヒト」という考えを忘れないことだよ。この考え方って宗教でうたっていないのかな? よく知らないけど。

話戻るけど、宗教は個人的なものであって「ヒトはヒト」であることを理解できずにどっぷり宗教に依存している(そしてそれに気付かない)ヒトが多すぎるんだよ。
気付かないどころか営利目的で割り切ってるヤツもいるからね。あれはもう、単なる「宗教法人の一職員」だよね。