元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

近所の「怒るおっさん」キャラからの脱皮

[再録]近所の「怒るおっさん」キャラからの脱皮|龍澤ヒデアキのバックドア

数年前までは、長男の同級生たちと積極的にコミュニケーションをとっていたように思う。
今考えると、われながら、自然体じゃなかった。
その、「積極的にコミュニケーションをとろう!」と思っている時点で。。

「いじめ」に関して相当センシティブになっており、その萌芽をできる限り早めにかぎとらなければ、という意図があったと思う。

で、オイラの場合、なるべくよその子に対してもしかるようにしていた。それと、すべてのコドモらは平等に呼び捨て。
あの、旧き良き時代の日本の共同体に、憧れていたんだろうねえ。。「近所のヒトたちに育ててもらう しかってもらう」みたいなさ。。
それもまた相当、肩肘張っていた。。

でもね、そういうのをあるときを境に、ほぼすぱっとやめた。
はっきりいって、ちょっとバカらしくなったんだよね。

なんでかっていうと。。周りのママさんパパさんたちに、けっこう評判よくってさ。。その、他人の子でもがんがん叱ったり、「オマエ」って呼び捨てしたりする「キャラ」がさ。。
もちろんオイラも、別に悪気があってやってたわけじゃないし。

なんかさ、だんだんと、そういうキャラがひとり歩きして、「近所のコワいパパ」を相当期待されるようになったんだよね、あるときから。

オイラはそういう「縛られる」のにものすげー敏感だからさ、あるときからやめたんだ、そういうの。
今はけっこう、自然体に戻ってきてる。コドモの同級生に対しては、気にくわなかったら怒るけど、ふだんはスルー。特に声かけもしないし。


最近思うんだけど、(これも書いてるかもしれないけど)「しかる」ってキライなんだよなあ。感情にまかせて抑制をきかす、みたいなさ。

親が、感情にまかせて生きて何が悪いんだよ! って、強く思う。怒りたいときはわめき散らせばいいじゃんか。最後の一線として、「暴力」に至らなければいいだけのハナシでさ。
別にそんな、ガマンしなくてもいーじゃん? ってねえ。