元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

良質な組織

良質な組織
僕はいろんな企業に常駐というかたちで渡り歩いていますが、最近とみに感じることがある。

それは「良質な組織とは」ということだ。
それがやっと、わかってきた。

 

良質な組織はね、「ガマン」している。

具体的にいうと。。

電話で取引先と話して、電話を切ったとたんに「なんだコイツコノヤロー」とか、最後っ屁をかますヒトがいるでしょう? 電話ではへーこらへりくだって、電話を切ったとたんにグチのオンパレード、とか。

良質な組織にはそういうヒトがいない。ひとりもいない。それが「間違いない」ということに、最近ようやっと気付いたんだよね。

そういうヤツがひとりいるだけで、組織の雰囲気が悪くなるのは、皆さん知ってるでしょ?

良質な組織(とそこに属する人間)はね、文句悪口を、極小のプライベートまでしまってゆく。
もちろん、組織の飲み会でも客の悪口とかは、いわない。
だから結局、自らにしまってゆくことになる。自らの中に澱のようにたまってゆくわけだ。

良質な組織というのは、そういう「器」を持った人間が多いということ。
「器」とは結局は「ガマン」をどれだけ抱えられるか、ということだと思う。「度量」ともいう。

お客さまのために常に笑顔で。。常にお客さまの立場に立って。。なんて、ホントはできっこない。だって客ってのはいつも傍若無人だし、僕らビジネスマンは感情を持った人間なのだから。

器が大きいヒトは、そもそも「できっこない」ということをわかっていて、ガマンできるヒト。

 

オイラのようなこわっぱ(器が小さい)も、一時的に常駐している人間も、そういった良質な組織にいる間は、大きな器をもった人間に引っ張られる。
なんだか、自分の器が大きいような気がしてくる。実際は、大きい器のヒトたちに庇護されているというか、包まれていることも知らず。。

 

組織の良し悪しとは、良質な人材がいるかどうかに尽きる。アタリマエのことなんだけどね。
その良質な人材というのは必ずしも所与の才能だけではないので、育成することができる。
「育成」というのは見習うべきヒトを見習う、という、それだけでよいのだけれど。。見習うべきヒトが職場にいなければ、育成できない。残酷な現実。。

 
 

フットサルをやっているヒトはわかると思うんだけど、フィールドに、レベルの違うヒトがパサーで入ると、それだけで組織力がものすごく上がる。

そのヒトが「ベルベット・パス」を出してくれる。ヘタクソなこっちは、そのやわらかいパスを受けてゴールに流し込むだけでよい。

悪いことに(?)、レベルの違う人間がひとり入るだけで、自分もうまくなったような気がしてしまう。

そういうヒトに、こっちがミスしても笑って「ドンマイドンマイ」とかいわれちゃったら、こっちは舞い上がってしまう。

重要なのは、そういうレベルの違うヒトが、「オレがオレが」と点取り屋にならず、ガンガンドリブルばっかして独り相撲にもならず、みんなを活かす「パサー」に徹するということ。

そういうヒトがパサーに徹してくれている、ということをその他の凡人がわきまえること。自分だけのおかげでうまくなったような、いい気にならないこと。

その場合、「パサー」は、ガマンしている。自分だって点を取りたいし、ドリブルで切り込みたいのだ。そして周りはヘタなヤツばっか。。
もっと上のレベル、自分が逆に「ヘタ」に属してしまうぐらいの高いレベルでやりたいはずなのだ。

でも、そのガマンが、いつかは実を結ぶときがくる。(ことが多い)

パサーにパスを供給され、うまくなっていった周りの凡人たちが、最後にはそのパサーにラスト・パスを出してくれるようになるのだ。
それこそが、「組織」として熟してきたという証である。

ビジネスにおける組織でも、そういう瞬間というのは、ある。そしてそれはビジネスにおける醍醐味でもある。
そういう経験を多くできるヒトは幸せだ。

 
 

組織の良し悪しとはもうひとつ、みんなで、良質な雰囲気づくりをできるかどうかだ。
良質な雰囲気をつくるために、努力が必要なのだということに気付くかどうか。

さっき書いたように、現場においてグチのオンパレードにならないようにする、とか、親切にしてもらったらありがとうをいうとか(このギョーカイで、それすらできない人間がいかに多いことよ)

雰囲気でもなんでも、まず、「つくりあげる」までに相当の努力が必要で、その後それを継続するのにはもっと皆の努力が必要。
「努力の継続」。これがね。。たいがいの凡庸な組織において、忘れられている。

良質な組織においては、楽しんで「努力を継続」する術を皆知っている。

 
 

。。あともうひとつあってさ、その組織が「良質」かどうか見分ける基準が。。
いや、カンゼンに余談なんだけど。。

男性がね、女性に対してスマートかどうか。

たとえば。。
現場の飲み会で、すぐ「ハケンのねーちゃん品評会」になる現場って、組織としてダメだよね~。

酒の席でそういうことしか語れないようじゃ、ね。他に話題はないのだろうか?

 

それとさ、たまに女子が飲み会に参加してくれるときがあるんだけど、待ってましたとばかりに熱く語っちゃうバカがいるんだ。
「早く家庭に入りなさい、そのほうが幸せになれる」的な説教を垂れるヤツが、ホントにいるんだよ。オマエは何様だっての。

。。とまあ、そういう人材(女性に対してスマートにふるまえない)が多ければ多いほど、組織として「良質」でないというのは言わずもがなだと思うけど。

 

ウラを返せば、今のは男子のハナシだけど、スマートな女性が皆無な現場も、ダメだよな。

ヒマさえあればくっちゃべって仕事もしねーようなねーちゃんが蔓延してるような現場じゃ。。
つまりは、そういう人材しか集まらねーってことだから。その現場自体に磁場がないってことだよ。

 

(むりやり)結論としては「良質な組織」イコール「スマートな個人の集積」っていうことかな。。