元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

自分のココロに素直にならない

自分のココロに素直にならない

去年、僕が接してきたたくさんの他人に対して強く強く思っていた ことは、「なぜ、ココロを鍛えないのか?」「なぜ、『トラウマウェルカム』なのか?」ということ。

この時代、その姿勢は自殺行為である、と。

身体を鍛えるよりまずココロを鍛える時代だろう、ということに気付きました。

で、今年に入ってじわじわと感じているのは(去年もそうでしたが)「『自分のココロに素直になる』というのはゼッタイに間違っているに違いない」ということ。

自分の素直なキモチなんて、深層心理のさらに奥底に沈めてしまっ てゼンゼン問題ないのです。

「自分のココロに素直になる」というのは、ココロがハダカになっている状態ですね。ハダカのままで心理的な攻撃を受ければ、そりゃダメージを受けますよね。

そして、現代社会は、どこから心理的攻撃を受けるか、わからないのです。ココロは守られていないのですよ。カギのかかった部屋にいたって、パソコンをながめていたらブログのコメントで深く傷つくかもしれない。

だから、ココロをハダカにしている状態というのは、マゾでしょうと。単なる。

イジメられたいだけ。それが「トラウマウェルカム!」状態。

僕は、なぜそのような「トラウマウェルカム!」状態を他人が好むのか、全く、感覚的に理解できません。

ココロというのは、常にある程度ガードしておかなければならないのです。現代社会をストレスなく生き抜くためには。