元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

横文字職業に対する違和感 の序章

横文字職業に対する違和感 の序章

青山デザイン会議 クリエイティブが生まれる瞬間
青山デザイン会議〈第1巻〉クリエイティブが生まれる瞬間/著者不明

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を読み進めているのですが、いくつか思い浮かぶことがあります。

コンピュータが絵を描いてくれるようになり、「技術」部分は機械に任せることができるようになって、「ただうまい人」は淘汰されてきました。あるいは、技術部分はアウトソースできるようになってきました。
となると問題は、いわゆる今流行りの「コンテンツ」、「何を書くか」が問われるわけですが。。
そこで思うのは、子供の頃、絵とか、工作とか、器用にこなせた人たちは、「何を」書きたい、作りたいというビジョンも明確だったのではないか、ということです。
子供の時分は、技術を持っている人はビジョンも持っていたはずです。私自身は、絵や工作がダメだったのでよくわかります。ビジョンがあるのにそれを表現する技術がなかった、というわけではありません。ヘタだから(やりたくないから)何を作りたいか、というのもそもそも浮かんでこないのです。

それがなぜ大人になると変わってくるのでしょうか。
いや、別に変わってはいない?

ここから、話は展開してゆくでしょうか。。 重要な話のような気がするのですが。。