元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

人間の怠惰とシステム

人間の怠惰とシステム
人間の、本来もっているに違いない、物事を継続する力(大変さ)を、ある意味捨ててまでキカイにやらせようというのがSEの根源的な考え方なわけね。
世の中を便利にしよう、というのは結局そういうこと。とことん、「楽」しようよ、って。

イコール、欧米的ではある。システムエンジニアリングというのは舶来だからね。

日本は、そういうところまでも盲目的に追従すべきなんだろうか? なんか違うんじゃないの? とは思う。
だからっつって全体主義的に「エコ」方面にいくのはもっと間違ってると思う。

 

と、大上段に書き始めたはいいものの、そんなエラそうなことを書き連ねたいわけではなく。。

たとえば、スケジュール管理におけるポップアップとかメール連携の通知機能とか。

スケジュール管理をキカイにやらせるという姿勢は、悪くない。
でも、ビジネスマンはいつまでたってもスケジュール帳を手放せない。PDAやケータイを保持していても手帳を放さない。それはなぜだろうか?

まずスケジュール帳に記入し、それをシステムのスケジュール機能に入力するという二度手間。そして、いつも見るのはスケジュール帳のみ。
だったらなんのために入力してるの? チームに自分のスケジュールを公開するため? そんなの、ホワイトボードでいいじゃない。

 

究極をいえば、頭で感じたことを電気信号化して、それを無線でシステムに飛ばせれば、いいわけでしょ。備忘という意味で。
スケジュール管理機能はそこまで、いくのだろうか?

「つぶやきメモ機能」とか、ホントほしい。道端でふと良きアイディアを思いついたときに限って、メモ帳をもってない。携帯でメモするのはホントわずらわしい。何もギアをもっていない状態でも、ぶつぶつとつぶやいたコトバをそのままmySMTPサーバに飛ばしてほしい。
twitterとかチャットとか、メッセンジャー機能はそこまで進化するだろうか?

それはつまり、自身がギアと一体化するということだ。

 

。。あれ? こういうことを、書きたかったわけでもない。

  

とにかく、自分は面倒くさいことはすぐに忘れたい、と。
そして、ルーティン(すなわち、「クリエイティブなこと」以外)はやりたくない。
それがSEの「本性」であってね。

ルーティンをキカイにやらせるのはまだいいとして(確かに、キカイの存在意義はそこにあるからね)、なんでもかんでもキカイにやらせることによって、ただ の人間のドレイであるはずのキカイに責任を転嫁したり、あるいはもっと悪いことには、空いた時間をクリエイティブなことに転化することもなく、ただ怠惰に 過ごすだけになったり。

世の中の、ほとんどのSEと呼ばれる人種はこのようになり果てているよね。
(あるいは、空いた時間がすべて会議にツブされてしまったり。。)

  

はっきりいってしまうと、ルーティンをキカイに委譲すればするほど、「手を動かす」あるいは「汗をかく」ことがなくなってしまい、人間っていうのはバカになるんだよ。
バカになっちまうから、せっかく空いた時間をクリエイティブなことに活用できない。
クリエイティブをやるには、ただ時間だけを与えりゃいいってもんじゃない。まずゼッタイ的に素養が必要なんだ。

そして素養がある人間っていうのは、すごく少ない。
それを、わかってないっつーか、目をそらしているヒトたちは多いよねえ。。

素養っていうのは努力すりゃ獲得が可能。天性の才能ではない。いや、天性の才能はまったく必要ない。ジャマになるだけだ。

 

最底辺層から、上流のSEの皆さんをながめていると、まるで高度成長期以降の専業主婦をみるようでねぇ。。

家電の進化により膨大な時間を捻出できた専業主婦はさて、どうなった? クリエイティブに邁進したか? 結局、膨大な時間をムダにしただけじゃねーの? ってね。。(そして今も進行中)
時間をムダにし続ける主婦は、必ず、何か言い訳をしたり、何かに責任を転嫁したりする。いつも「自分探し」だの「生涯学習」だのに束縛されながら。。

 

ルーティンをキカイにどんどんやらせるSE イコール専業主婦説。。

そして、オペレーションをどんどん下流に丸投げする上流のコンサルあるいはSEも同じ穴の狢。丸投げする対象が、下流SEはキカイになり、上流のSEは下流SEになるだけ。

  

専業主婦とSEの違いは。。
SEってのはキカイに仕事さすだけじゃなくて、どうやって、どのように、どの分野でキカイに仕事さすか? を考えるところから始めることができる。それこそがシステムズ・エンジニアリングである。

 

ということは、実はオイラたちは、もっともITによる利便性を享受できる人種ということになる。(センタンだね!)
エンドユーザは、開発されたモノを使い倒すだけ。口をあけて新製品の発売を待ってるだけ。
エンジニアっていうのはこういうものがほしい、という製品をつくりあげることができる。個人でやることはもはやできないけど、このギョーカイ全体でもって推進してゆくことができる。

 

ITによる利便性というのは要は生産性の向上、業務効率化、時間の捻出ってことでしょ。
SEは、そこまではできるかもしれないけどそこからのビジョンがないんだ。

生産性の向上、業務効率化、時間の捻出、すべてできました、(と仮定して)、世の中もだいぶ便利になりました、さてどうする? と。

その先がないから、ただただ怠惰になってしまったり、あるいはサイアクのケースではいいようにいろんな「黒幕たち」に操られてしまう。

我々は、開発者でもありITのセンタン的なエンドユーザでもある。「センタン的」とは、率先してツールやギアを使い倒すことに長けているだけじゃなくて、本来、開発されたシステム、技術でもって未来のビジョンを示すことができる、という意味であってほしい。

でもそうはならない。なぜなら、ITギョーカイどっぷりのエンジニアたちはあまりに当事者でありすぎるがために、ツールやギアと戯れるだけで満足してしまってそれ以降のことを考えようとしないからだ。

だから僕は、このギョーカイの末席に連なっている限りは、世の中を便利にするために貢献したいという気持ちは持ち続けながら(あまり知られていないけど、 システムを継続して「運用」することで十分エンドユーザに貢献している。我々はもっと自信をもってよい。)エンドユーザとしてツールやギアと戯れることは できるかぎりやめてゆきたい。

ツールやギアってのはやっぱ、戯れるんじゃなくてクールに使い倒すものだ。