元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

解放

内田博史さん
心に湧きあがった感情というものは、必ず何らかの表現を求める。例えば、上司に小言を言われてムカついた。これで、即上司に殴りかかる者は少ないはずだ。 しかし、その湧きあがった不満は、何らかの形で表現される必要がある。一番多いのは、同僚と居酒屋に行き、上司の愚痴を言う。たいていは、このような表現 方法をとる。
上司によって、イヤな気分にされたからと言って、上司そのものに攻撃を加えるという事をしてしまうと、たいていはクビになる。だから、ほかの事をして紛ら わせる。そして、その感情を上司に対して直接表現することはしないで(殴りかかる・睨みつけるなどの意味)、自分の心で押さえつける。ほとんどの人は、このような習慣がある為にイヤな事を我慢して、心に抑え込まないといけない。と思い込んでいる。
禁煙であれば、タバコが吸いたいという気持ちを抑えつけようとする。上司に殴りかかりたいという感情を押さえつけるように。とにかく、タバコの事を考えないようにする。実はこれだとダメなんだ。
上司の場合居酒屋で同僚と愚痴、これも、湧きあがった感情の表現である。これと、同じようにタバコを吸いたいと思った感情を表現する必要がある。だから、まずタバコを吸いたいという気持ちを認める事が大事だ。認めたうえで、その感情を解放する。
(略)
ストレス発散しないで、イライラを貯めこんだヤツが、通行人に車で突っ込んだりする。これも、極端な表現の一つである。湧きあがった感情を抑え込み、抑え込み、鬱積したものがありすぎたからだ。だから、心に湧きあがった感情は必ず、表現が必要だと。言い換えれば何らかの形で発散する必要があるという事だ。 その第一歩が、自分の感情をまず認める。ここから、改善がはじまる。