元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「残らないものにお金を使う」こと

「残らないものにお金を使う」こと

が、好きなんですよね。残らないものとは、食事とか。。

以前は嗜好品も入っていたのですが、最近は嗜好品とは縁が切れつつあり、 良い傾向です。

おいしい食事をするのも、旅行と同じで「経験」を買うに近いのではないでしょうか。

旅行で別な空間に飛ぶのも、都心の中の「隠れ家」に潜むのも、異空間という点では同じではないかと。

人におごるのも嫌いじゃないのです。大好きというわけでもないけど。。

おごるという行為も「残らない」ですよね。でも、もしかしたらその行為をすることにより相手にとって良い経験を提供できたかもしれない。

そしてあわよくば自分に対して好印象をもってくれたかもしれない。あまりそこまでは考えませんが。。ゼロではありません。

人にプレゼント(モノ)を買うのが嫌いなのです。同じ「施し」なのに何が違うのでしょう。その「モノ」が相手の生活の中で生き続けるのがイ ヤなのか? そんなことは別にないと思いますが。。

 

完全に矛盾する考え方として、自分は、時計や靴を集めるのが好きです。(安物)時計や靴については「数」がほしいと常に願っている。

これらは完全に「残るもの」ですが。。

生活に直結するモノであれば、良いのでしょうか。自分にとって時計や靴はぜいたく品ではなく生活の一部で、飾っておくのではなくてローテー ションして使ってゆくものです。

自分は時計や靴は好きですが、壊れたりしたら捨てます。なぜなら、ローテーションから外れる(使わないものになる)からです。

生活必需品やそれに近いものであれば、ふんだんに身の回りにあってほしい、ということですね。ということは自分の部屋、家がムダなものたち ではなく「必需品」に覆われていればよいのですね、自分は。

絵画や、家に飾っておいて目を楽しませるためのモノ、一見ムダなものたち(と私は考えてしまいますが。。)を集めるのと、自分がお金を使う 「残らないもの」とは、趣味という点で共通している、ということです。