元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「苦労を今しておくこと」について(2)

「苦労を今しておくこと」について(2)
大きなテーマとしては、なぜ自分が、「苦労は今しておかなければならない」という強迫観念にも似た思いを植え付けられたのか、というあたりです。

「誰に」植え付けられたかといえば、それは間違いなく自分でしょう。

そのトリガはといえば。。 「大器晩成」の話は前回書きましたが、いつごろ、このような思いに至ったのか。。

ところで、私は、どん底レベルの苦労はしていませんので。。

実家は中流でしたし、衣食住に困ったことはありません。

大学に出てきて一人暮らしをしていた頃、周りには同じように地方から出てきて、けっこう本気でお金がない人たちがいました。が、彼らは、たまたまそのときお金がなかっただけで、(あるいはストイックにそうしているだけで)実家が困窮していたわけではなかったと思います。

たとえば親の仕送りがない、といっても、それは自立心を植えつけるための親の愛情なのかもしれませんし、単に子供が親の意見と反対の行動をして東京に出てきて、親の逆鱗に触れて仕送りがないだけかもしれません。

私の、「大学進学のために地方から上京して一人暮らし」という「コース」は、親の望む方向とほぼ一致していたため、私はふつうに仕送りをもらっていました。(もちろん、潤沢ではありませんでしたが)

ということで、苦労をしていない「ぼんぼん」だったために、苦労をしなければならないという観念が植え付けられた、という結論に達しそうなのですが。。

何となく本質は違うような気はするんですよね。。

「そこまで思わなくともよいだろう」といいますか。。

私は本当に「ふつう」の逸材だったので、何かしらのトリガがなければ、「苦労をしなければならない」という考えにまでは至らなかったはずなのです。

そして、そう思っていた割には、親の仕送りを拒否することなくもらっていましたし。。

と、ここまで書いてきて、ひらめきました。

矢沢永吉さんは、著書かインタビューか忘れましたが、上京するときに、「夜汽車でなければならなかった」と言っています。仮にそのとき、財布の中に特急電車に乗れるお金があったとしても、シチュエーションとしては「夜汽車で上京」に「しなければならない」という考え方です。

まさにこれです。

自分の心の履歴書を、充実させよう、ということです。

my心の履歴書が、あたりさわりのない行動、流行に追随する行動、等により他人と似たり寄ったりのムダなページが増えることを嫌い、インパクトのある「履歴」を少しでも多くしたい、といいますか。。

ただし、矢沢永吉さんは、夜汽車で上京してその後の「ビッグになる」というストーリーもおぼろげながら見えていたはずですが、私は、未だにストーリーが見えていないような気がするのです。。