元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

何歳になっても時給

何歳になっても時給
オイラの思う生産性ってのは、いかに短い時間で何kl書いたとか、何ページの企画書をまとめたとか、そういうもんじゃないのね。
生産性とはズバリ「時給」でしょ?

スポットでいくら、じゃなくって、オイラの場合は、もっと長いスパンで考えるけど。。

たとえば、年の瀬を越えて年明けになる頃、毎年「あー、今年も乗り切った。。」と思う。必ず思う。

現場は長いときもあるし、3ヶ月ごとに移動することもある。イヤで引き上げちまうこともあるし、ずっとそこにいたいのに工数調整の関係でクビになることもある。
最初は三顧の礼だったにも関わらず、数ヶ月後には「単価が高いから。。」と言われ。。

だから、1ヶ月ぐらい稼動に空きが出てしまうこともある。その期間はもちろん、無収入。
スムーズに案件を切り替えることのほうが、ムズカしい。

1ヶ月はオーバーにしても、案件と案件のはざまで1~2w空くことが多いから、結局オイラの年間の実働は10~11ヶ月弱ぐらいになったりもする。

で、時給だ。
実際オイラの場合、時給計算じゃなくって月にいくらでもらうから(月の稼動がハンパなときは日割)
働けば働くほど時給は下がる計算になる。

だから、オイラの生産性はいかに「働かない」か、ってことだ。(これが重要)
「働かない」で語弊があるのであれば、いかに現場で残業しないか。

と、いうことは自然、作業の生産性も上げざるをえないわけだけど。。
余計な仕事をふりきるっていうのもオイラの大事な仕事のひとつだ。「主体的に(柔軟に)動いてくれ」というコロし文句に乗って、現場に対して「余計なお世話」をしていると、オイラにとっては大幅な生産性ロスになる。

オイラは別に生産性高く仕事をしたいわけじゃない。現場でぼけーっとしているだけでカネをもらえるんだったらそれでもいい。

まあでも、世の中そんなに甘くないというか、そんな姿勢では、家族を養ってかつほんの少しぜいたくができるぐらいのカネは手に入らない。
それが抑止力となって、現場でぼけーっとしているわけにもいかない。。

もし自分が独り身だったらホントに、現場でぼけーっとしてサボって、三ヶ月ごとにクビになって、1ヶ月休んで、また3ヶ月ぼけーっと働いて。。の繰り返しかもしれない。
死ぬまでモラトリアム、みたいな。。「働きやすい現場を見つけるまでは!」と。

勤怠は常につけているから、オイラの年間の労働時間は計算することができる。
確定申告のときにはじきだされるオイラの「事業収入」に経費をさっぴいて労働時間で割れば年間の平均時給が出る。

これがオイラの生産性の基準になる。

この生産性がさ。。現場依存なんだよね。。
つまり、マネージメント系統がびしっとしてる現場だと、自然、早く上がれるし、こっちもモチベーションを維持できるし、長く続くし。。悪いことはひとつもない。
生産性(時給)も高い。

マネージメントが崩壊してると、現場での不満も多くなるし、すぐ離れることになる。(それは、オイラだけじゃないけどね そういう現場はヒトの入れ替わりが異常にハゲしいから)
そして、指示系統も崩壊していて、なんでもかんでも主体的、柔軟な対応を求められ、余計なことを丸投げされて残業も増え、生産性(時給)もサイアクになってゆく。

マネージメントの良し悪しは、入ってみないとわからないから。