元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ハケンのねーちゃんという人種

ハケンのねーちゃんという人種
ムカシ、イトイ新聞の「オトナの小論文」を読んで思ったこと。

一般的に女性は、ハケンをやりながら夢を追うことができる。
男性がそれをやると、世間の風当たりが相当キツい。
そしてムカシよりさらにキツくなっているように思う。

ハケンというイメージは、けっこう、地にまで堕ちてしまった感じがする。(特に、男子)

 

僕もムカシいわゆる「25歳ハケン社員」だったが、ハケンをやりながら夢を追っているわけでもなかった。
ただただ、選択肢がそれしかなかった。
生きるのに精一杯で、「夢」について考える隙もない。

今も、そういうヤツばっかだと思う。
生きるのに精一杯ってのは、ビンボーとはちょっと違う。
カネは、ふつーに生きてゆくぐらいは、もっていた。

でも、常に将来への不安が、あった。
夢がなくて不安ばかりが募る状態というのが、「生きるのに精一杯」ということ。
夢があれば不安を打ち消してくれる(らしい)。

 

同級生で就職したり公務員になったりしたヒトたちから「ウラヤマしいな、オマエは!(自由で)」といわれ。。(実際は自分のほうがエラいと思ってるから、ちっともウラヤマしくなんかないわけで)
今流行りのコトバでいえば「上から目線」だったよね。

僕は、企業に入ったり、公務員になったヒトたちを相当、ウラヤマしかったんだと思う。その当時は、自分でも気付いていなかったのかもしれない。
自分が、はためには「自由に生きている」ように見えることが、まったく長所だとは感じていなかった。

今は別にウラヤマしいとも思わない。今でも間違いなく「自由」はこちら側にあるけれども、それでもこっちが上だとも思わない。

ただただ、今ビジネス・シーンの一線で働いている同世代は「同士」だと思えるようになった。(今の時代、お互いキツいよなあ、頑張ろうよ、と。。)

 
 

その、イトイ新聞の記事を読んでふに落ちたんだけど、僕が女性陣に対して「『卒業』してねーなあ。。」と感じることが多い理由がわかった。
彼女らは、いつまでも夢を追うクセがついているのだ。

さらにフシギなことに、夢がないクセに夢を追ってるフリもできる。。(これ、重要)

 

かつての僕もそうだし、多くの男性陣の「25歳ハケン社員」は、そもそも夢を追わないから、「降りてる」感じなんだよね。卒業もなにも「入学」もしてない。。

生活の基盤ができて始めて、夢なんてもんは発生するのであってね。

 

たとえばバイトしながら、貧乏しながらお笑い芸人を「夢見る」とか、アングラな劇団に入ってスポットライトを浴びる日を「夢見る」とか。。

あれは「夢」というコトバの使い方が僕とは違う。「有名になってキャーキャーいわれたいandカネを儲けたい」というえげつない願望を、あたりさわりのない「夢」というコトバに置き換えているだけだ。

いや、僕は有名になりたいという考え方を否定はしないけれども。それは「夢」とは違うのだということ。
たぶん、うまくはいえないんだけど、僕の考える「夢」っていうのは、もっと「ふわっと」したものだ。「キャーキャーいわれたい!」ってのはもっとがつがつしてるし、すごくリアリティがある。