元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「~という認識でいました」

「~という認識でいました」
「部下たち」はすぐ「認識」というコトバを使う。

「~という認識でいました」と。それはつまり、自分の都合のよいほうに考え、そして、それを周囲に確認せずに抱えてしまっている、ということ。

ビジネスにおいては常に「認識の相違」が発生する。それは、アタリマエのことだ。仲良し集団じゃねんだから。
認識の相違をわざわざ意図的に(かすかに悪意をもって)作り出すヤツは多い。それは「生き馬の目を抜く」世界だからしゃーないんだけど、最近なんか、天然で認識の相違をつくってるヤツが多いような気がしてならないんだよなあ。。

それはつまり、天然で「敵をつくる」っていうことだよ。
自分が原因で、敵をつくっていることに、気付いていない状況というのは、キッツいだろうなあ、と。

仕事しているとメールだの打合せだので膨大な情報を受け取ることになる。それらを取捨選択する「機能」が各自により異なるわけだが、ここで「センス」がとわれるわけね。

たとえば。。直上の上司からの指示は後回しにするけど、もっと上からの依頼は最優先にする、とか。
上司からの指示は即対応するけど下からの依頼はすべてスルーする(督促があるまで放置する)とか。

取引先をあまりに大事にしすぎて下請けは無視する、とか。

いろいろある。僕らは、すべての情報を等しく受領することはできない。だから、取捨選択しなければならない。それはわかる。

問題なのは、その取捨選択の「機能」のセンスは、「みられてますよ!」ということ。上からも、下からも。他社からも。

それが、ビジネス・シーンにおける「(アタマの)キレるヤツ」「つかえねーヤツ」の重要な判断基準になっている、ということだ。