元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

目的と手段のたとえ

目的と手段のたとえ

私は、578円の買い物のときにぱっと1133円出せます。これでお釣りは555円です。受け取る枚数が少なくなり、小銭入れが軽くなりま す。

常に500円、50円、5円玉ゲットを狙っています。

自分は、小銭入れがジャラジャラと重いのがとても不愉快なので、それを回避するという「目的」のために「手段」を磨いてきました。この場合 の手段とは、出す枚数よりも必ず釣銭として受け取る枚数を少なくするということ、そしてそれを徹底するということです。

それはよく飲み会のネタにしていますが、80%ぐらい「それってセコくない?」という反応が返ってきます。15%ぐらいは賛同してくれます が、私ぐらい徹底しているヒトには出会っていません。

確固たる目的の実現のための手段の精査、そしてそれを磨くこと、は何ら悪いことではありません。

事の大小ではありません。小さい事柄でも常に「目的と手段」の関係性と目的の実現について考えていれば、大きな事柄(ビジネスなど)でもす ぐ応用が効きます。

なかば滑稽にすらうつるかもしれない「徹底」を、小馬鹿にするヒトには進歩がありません。

何かを決めたら徹底、連続、継続が肝要です。