元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

あらためて「よりよく生きる」とは

あらためて「よりよく生きる」とは

「直感」に近いところで、「んー、それってあんまりよくはないんじゃない?」と感じることをしない。その連続性こそが「よりよく生きる」につながるのです。

これが結論。。

何か、ふっと引っかかることってありますよね。そういうとき、意識下で、自分なりの倫理観「みたいなもの」とこれから行おうとする行為とを瞬間的に照合して、結果として「んー、それってあんまりよくはないんじゃない?」という「感じ」が導き出される。全否定でもないし禁止でもない。でも引っかかりはする、みたいな。。

そういうときはだいたい、その行為は行いますね。高い確率で、そのぐらいであれば世の中に罰せられることもないですし。

でもそれを、やめる。何かしらの引っかかりを感じたときは、立ち止まるのです。(これは、比喩ではなく、ホントウに)

そして、深呼吸した後に、やめてみる。

その「やめる」という決断が、最初は負担に感じるのですが、いずれ慣れます。

ところで、探りはいれないことです。「なぜ」「あんまりよくはない」という引っかかりを感じるか、といったところを、考えない。まずやめるのが大事。

むやみやたらに比較しない、相対化しない、ということです。

この、考えをいれないで直観に従う、というところもナンチャッテ禅的ではありますね。

「考え」を絶対視してはいけない。表層的な「考え」が正しいと思ったら大マチガイだ、という。。