今はだいぶラク
今はだいぶラク
ムカシこの日記で、中学校の頃は楽しかった、ということを書きました。
今は、「楽しい」というコトバはあたらないように思えますが、「ラク」になってきたように感じています。
(そういえば、大学を出てから、ココロの底からハラを抱えて笑ったことがあるだろうか。。)
なぜ今、ラクかというと、おおっぴらにマジメに生きていいから、なんですね。
私のようなマジメな人間でも、反抗期のころには、反抗期特有の衝動に苛まれながら、世の中や親や先生に行動でもって反抗していたのですが、それは、今考えればマジメ人間にはキツいものがありましたね。
オトナになると、「マジメ」が個性になりうる、と気づいたのは最近です。それを知ってから、ラクになれたように思えます。(【重要】マーク)
ただ、「マジメ」であることによって批判されることはないだろう、と考えていたのですが、「反抗」もしていないのに「マジメ」人間に対する批判があるのは、想定外でした。
それに対して言いたいことはたくさんあり、ずっと日記に書き続けていることなので、おいといて。。
中・高のころは「マジメ」とはすなわち、クラスの中に埋没している「ガリ勉くん」であり、それは個性とはなりえませんでした。だから、マジメにフザケたりマジメに反抗したりしていたわけです。それは、ものすごくムリがあることです。
ホントは自分は「ガリ勉くん」のグループで、図書館で小説について語ったりしていたほうが性にあっていたのかもしれない。
でも、そこに埋没せずに、マジメにフザケたりしていた経験は、今になって役立っているような気がします。今自分が「インディペンデントでありたい」と考えるルーツになった、といいますか。。
それと、自分が異常なほど「フィールド・ワーク」にこだわるようになったのも、この時期の行動がルーツなのでしょう。
高校を出て大学に入るために上京してきたときは、田舎の呪縛から解放された感はあったのですが、今度は、バブリーなライフスタイルなり、「トレンディドラマ」なり、そういった「時代の呪縛」に常にとらわれるようになってしまいました。
その「時代の呪縛」は、結局、ふりほどくのに相当な時間がかかりましたね。この呪縛にとらわれているうちはおそらく精神的に「ラク」ではなかった。
大学を出てからしばらくは決定的におカネがなかったので、精神的にラクになるはずもなく。。
でも、大学を出てから、今でいうフリーター的生活を体験したおかげで、遅かりし「青春」を謳歌できたような気がするのです。という意味では楽しかったですね。
貧乏生活であってもそれを苦痛ではなく「青春」と思い込むというのは、おそらく自分の自助努力の成果もありました。この時期は、親や親戚に「就職しろ」的なことをガンガン言われ、プレッシャーをかけられていた時期ですし。
そんな遅かりし青春も、突然何の前触れもない「入院」によってぶったぎられましたが。。
そして、しばらくは物理的に社会復帰することすらできず。。
そこから現在までは省略しますが、とにかく、ラクになるにはまず、カネが自由になることですね。そこに至るまでに非常に時間がかかってしまいました。
「カネが自由になる」といっても、別に豪遊するわけではありません。「美味しんぼ」から引用させてもらえば、「いつでも、とんかつを家族で食べにいけるぐらい」ということです。
これは、自分の独自解釈では「たとえ給料日前であっても」ということです。
とんかつですから、最近安くはないですから¥2,000*家族分、ぐらいでしょうね。そのぐらいのお金が、いつでも自由に使える。