暴力性
抜粋・紹介
- 作者: 河合隼雄,村上春樹
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1996/12/05
- メディア: 単行本
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「河合 (略)日本人は、自分の内にあるこの暴力を意識化し、それを適切に表現する方法を見出すことに努めないと、突発的に生じる抑制のきかない 暴力による加害者になる危険が高いことを自覚すべきと思います。(略)何の罪もない人が、「治療」という名のもとにHIV患者にされてしまうのな ども、近代的暴力の一つの表われと見ることもできます。
オウムにしろ、HIV感染の血液製剤にしろ、もともとの動機としては「暴力」どころか「正しい」ことや「よいこと」をしようという意図がはたらい ています。しかし、そこに危険極まりない暴力が関与してくる。これを避けるためには、自分の中の暴力性を最初から考慮の中に入れて、行動すること が必要なのだと思います。」
「村上 (略)結局、ぼくがそれだけ長い年月をかけて暴力性に行き着いたというのは、そういうあいまいなものへの決算じゃないかという気もしなく はないのです。
ですから、結局、これからのぼくの課題は、歴史に均衡すべき暴力性というものを、どこに持っていくかという問題なのでしょうね。それはわれわれの 世代的責任じゃないかなという気もするのです。
河合 そうですね。暴力性をどういう表現に持って行けばいいのか、いまの若者がそこまで気がついてくれるといいんですけれどもね。
村上 これから暴力の時代がもう一度来るんじゃないかという気がすごくするのです。そのときに、われわれがそれに対してどのような価値観を付与し ていけるかというのは、大きい問題だという気がするのです。(略)」
「村上 「だれも痛みを引き受けていない」というのは、あるいは僕の言い過ぎかもしれません。中にはちゃんと引き受けていた人もいたはずだし、そ れは僕に断定できることではない。まあたぶん、多くの人は引き受けていないと思うけれど……。(略)少なくとも僕は、「おそらく自分にはそういう 痛みを引き受ける道が、今のところうまく見つけだせそうにない」と思ったので、そのような行動にはうまくコミットできなかったのです。これは一種 の自意識の過剰なのかなと思わないでもありません。でも僕は何かのムーブメントを「これは正しいものだからいい」「これは正しくないものだからい けない」というふうに単純に割り切っていくことができないのです。そうではなくて、どうすればその正しさを自分自身のものとして身につけられる か」というふうにしか考えられない。そういう納得がなければ、簡単には動けない。たとえそれに長い時間がかかったとしてもです。「とにかく動かな いことには意味がないんだ」というふうには僕はどうしても思えないのです。それはあるいは僕が学生のころに身をもって学んだことかもしれません」