元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

引用

抜粋・紹介

ISBN:978-4003332320:detail
「元来自由という文字は東洋思想の特産物で西洋的考え方にはないので ある。 (略)フリーダム(freedom)やリバティ(liberty)に対する訳語が見つからないので、そのころの学者たちは、いろいろと古 典をさがした末、 仏教の語である自由を持って来て、それにあてはめた。それが源となって、今では自由をフリーダムやリバティに該当するものときめてしまっ た。
西洋のリバティやフリーダムには、自由の義はなくて、消極性をもった 束縛また は牽制から解放させるの義だけである。それは否定性をもっていて、東洋的の自由の義と大いに相違する。(略)自由には元来政治的意義は少 しもない。天地自 然の原理そのものが、他から何らの指図もなく、制裁もなく、自ら出るままの働き、これを自由といいうのである。」
「自由の本質とは何か。これをきわめて卑近な例でいえば、松は竹にな らず、竹 は松にならずに、各自にその位に住すること、これを松や竹の自由というのである。これを必然性だといい、そうならなくてはならぬのだとい うのが、普通の 人々および科学者などの考え方だろうが、これは、物の有限性、あるいはこれをいわゆる客観的などという観点から見て、そういうので、その 物自体、すなわち その本性なるものから観ると、その自由性で自主的にそうなるので、何も他から牽制を受けることはないのである。これを天上天下唯我独尊と もいうが、松は松 として、竹は竹として、山は山として、河は河として、その拘束のなきところを、自分が主人となって、働くのであるから、これが自由であ る。
よく自由と放逸とを混同する。放逸とは自制ができぬので、自由自主と はその正反対になる。全くの奴隷性である。(略)」