元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

宗教的生活

宗教的生活

宗教的生活に入れるのも、食えているからであって。。

働いているからこそできる「余暇の趣味」であるといえなくもないのです。皮肉っぽくいえば。。

真の宗教的生活を実現させるためには職を捨て、金も捨て、という過程を経なければならないのだとしたら、途端に(僕は)宗教的生活もできな くなります。

これは、矛盾なのだろうか?

それはおそらく否で、

僕が働いているのは家族のためであって、すなわち、自分が働いているという事実を完全に家族のため、親類のため、他人のため、と純化できれ ばそれは完全に宗教的生活の一環となってくるわけですね。

家族の安定的生活を捨てて出家するのは、人(家族)を不幸に陥れることであり、ダメなのではないかと。