「悪いことは何もないじゃん」ということをやりたい(久々、長文)
「悪いことは何もないじゃん」ということをやりたい(久々、長文)
例を上げると、世間一般的に善行と思われていること、たとえば早起き、禁煙とか、腹八分目とか、いろいろあるのですが、それらのうち自分の 中で「悪いことはなにもないんだ」と腑に落ちたことは、実行しようとしています。
僕自身が腑に落ちないと、実行に移せないようです。
特に早起きは、継続して続けていると、ホントに「悪いことは何もない」と思えてきます。
早起きを続けることにより軽い睡眠不足に陥ったりしますが、それは「短眠を実現できている」と読み替えています。一度腑に落ちてしまうと、 決意が固くなるといいますか。
今なかなかキビしい戦いを強いられている「ほぼ禁酒」ですが、これはなかなか。。適度なお酒は身体によい、などという誘惑も聞こえてきます し、ムズカしいところがあります。
結局のところ「週末だけ酒をたしなむ」「飲み会のときは断らず軽く飲む」ぐらいのところに着地しそうです。
「腹八分目」については、「満腹というのはまったく幸せな状態ではなく、苦しい状態である」と認識した時点で腑に落ちました。それ以降滅多 に苦しいぐらい腹いっぱいになることはありません。
そして、考えなければならないのは、なぜ我々は「悪いことはなにもない」行動をとれないのか? それをはばむ現代社会の誘惑とは、なんなの か? なぜ「世間」「マスコミ」は人間を善行へ誘導しない(できない)のか? なぜ利益を追求すると人間を悪いほう(たとえば、不健康とか) へ導いてしま うのか?
などなど。
ダイエットなどが顕著な例ですが、この現代社会でふつーに暮らしているだけで、太る。でも、なぜ太るのか? 豊かだから? 豊かになると人 間の自制心がゆるくなってしまうから?
でも、人間は戦後、豊かになりたかったわけで、そして、自制心などいらないと思っていたわけです。
ダイエットとは自制心を取り戻す闘いに他なりません。ダイエットだけではありませんが。。
その「闘い」を強いられると、人間はおおよそ、くじけます。でも、くじけることを責めることはできません。そもそも闘わなくとも生きていけ るわけですから。
でも、マスコミがでっちあげたスリムな体型になることはありませんが(それを目指す時点で間違っていますが。。)ダイエットとは健康な生活 の維持に他ならないわけですから、それは「悪いことは何もない」です。
世の中にはびこっているダイエット法のほとんどは間違っている。といいますか、体型とかそういう上っ面ばかりを目標にしているから、本来の 「健康を取り戻す」という目的がなおざりになってしまいます。
それと、「ラクに」が強調されすぎなのです。そして、キビしいトレーニングも不要なのです。必要なのは、「ケイゾク」だけなのです。
拡散してきたのでまとめると。。
・現代人には「悪いこと」の誘惑が多い。すごく多い。
・現代人は豊かになった代償として自制心を失いつつある。
・自制心を失いつつあるところに、「悪いこと」の誘惑も巧妙に増えてきているのでタチが悪い
・「悪いことは何もない」状態、行為というのは、それを行うため自制心を必要とする
・その自制心というのは、日本が豊かになるちょい前ぐらいに日本人がふつーにもっていたものである
「悪いことは何もない」状態、具体的には健康状態のキープとか、そういう生活は、実ははためにはつまらない生活にみえてしまうのでしょう ね。それが大きな問題なのかもしれません。
「●●のない生活なんて耐えられない!」みたいなことが、よくいわれます。「悪いことは何もない」状態というのはまさに「●●のない生活」 であると思われてしまっているのでしょう。
でもそれは、違うと思います。違うのだということに、ここ数年、この日記を書くようになってから、うすうす気付いてきました。
ちょっと関連しそうなことで、前にもキャンペーンを張って大々的に書いていましたが、「日課」「週課」「月課」。。で埋まっている生活とい う のは、実は面白いのです。人間は本来「足るを知」り、自身の器をわきまえて、「課」にうずもれた生活をするべきなのです。そしてそういう繰り 返しの生活 (リズム)の中から、楽しみを見出してゆくべきなのです。
繰り返しのリズムそのものに楽しみを見出すことも可能です。それは、一種の「トリップ」のようなものです。
さらに、繰り返しの生活の中で、天職らしき仕事を見つけて、それが組み込まれていれば最高なのでしょう。それこそ、人生そのものが「悪いこ とは何もない」状態です。
「悪いことは何もない」状態をキープできていれば、自身の人生に後悔はないはずです。「悪いこと」に汚染されているから、自分の生活に常に 不満感を感じているわけで。。
でもそれを断ち切るには「自制心」が必要で。。