元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

以下引用
今、ほぼ日を読んでくれているハタチの人たちを見ると、「なんてすばらしいんだ」と感じるんです。積極的に、先輩から学ぼうとしていますもん。ぼくら、先人のしたこと、知ろうともしなかった。「飛鳥時代から続いてる大工の考えがすごい」とか、今の若い人が、そういうことも敏感に感じとれるのは、そう思えるだけの、「自由」があるんですよね。くだらない反抗だけで生きていくようなことを、しなくて、すむわけだから、やっぱり豊かですよ。
ぼくが10代の後半の時代には、自由自由とさけびつづけながら、フーテンをして何もしないで一生を送る超モラトリアムな生き方や、「何も探せないんだ」みたいな表現をする人が、正直だと思われていたんです。そんな中で育った人間の下地は、ほんとうに、ぜい弱なものだと思うよ。そ れで、当時の学生だとかは、社会やおまわりさんに、とに かく反抗したり、何もわからないまま、象徴的な議論ばか りをして……つまり、身の丈に、合っていないわけです。シンボリックな生き方。ぼくも、えらそうなことを頭だけで言いながら、何か居心地の悪さを感じていた。
そういう観念的な時代に、「オレは、金が欲しいよ」って言いながら、同年代の永ちゃんが現れた。