元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

これホント、村上さんの重要なコメントです
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20110608

ブルース・スプリングスティーンは僕と同い年だから、十年カーヴァーより下なんだけど、彼の場合もやっぱり60年代的なるものをおおむねパスして るんです。というのも、あの人もブルーカラーの家庭の出身で、貧乏で、ほとんど無収入で、そんな中でロックンロールをやるのに忙しくて、60年代 カルチャーどころじゃなかったんです。(略)彼らは60年代のカウンター・カルチャーに汚染されてないという言い方もできるわけです。どちらも、 知的衣装としての前衛性みたいなものとは無縁でいることができた。で、彼らが苦労した末に花開いたのは70年代後半から80年代にかけての、社会 が政治的にも文化的にも保守化していった時代です。(略)でも60年代のカルチャーに浸かってきて、そこにノスタルジーを見出している一部の人々 にしてみれば、二人のやっていることは一種の裏切り行為みたいに映るわけです。そのフォームには、一見して前衛性や実験性みたいなものは感じられ ない。だからスプリングスティーンもカーヴァーも、多くの知的エリートからは、「おまえらは何も新しいことをしていない。体制的だ」と教条的な批判を受けることになります。でもそういう知的エリートって、僕は思うんだけど、だいたいにおいて富裕なインテリ層の出身で、60年代に「いいとこどり」みたいなことをしてきたやつが多いんです。スプリングスティーンもカーヴァーも(略)メッセージは高い場所からではなく、地べたからじかに発せられていま す。そこにある言葉は、実際の生活から出てきた言葉であり、そこにあるメッセージは、実際に手にとって触れられるようなメッセージです。どのよう な意味においても教条的ではない。だからこそ、たくさんの普通の人々が彼らの言葉に熱心に耳を傾けた。そのへんを見落としてはいけないと思うんで す。