元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

時間の天引き

僕にとっての「古典」
時間の天引き

ふと、思いつきました。「時間」は各自「天引き」されてるんですね。(【重要】マーク)

サラリーマンのヒトは、給与明細をみるといろいろと天引きされています。その天引きの額を考えるとムナしくなってくる、と語るヒトもいまし た。

一方、オトナには平等に「24時間」が与えられています。

厳密にいうと平等ではないのですが。。

なぜならば、先天的あるいは突発的なことで身体のメンテナンス等に時間が多めにかかるヒトがいるからです。

睡眠もそうです。ベストな睡眠時間がヒトによって違うということは、その時点で平等ではないことになります。

オトナの24時間のうち、睡眠や身体のメンテナンスをのぞいた時間帯を仮に「稼動時間」と書いてみましょう。

この「稼動時間」に対して、あたかも「保険の勧誘」のように、「時間」をいただけませんか? という勧誘が忍び寄ってきます。

これを主にやっているのが、テレビ等のマスコミですね。

なぜ勧誘が発生するかというと、時間を奪い取って、さらに、消費意欲を高めさせるためです。

時間をゲットするだけでは意味がなく、実生活において財布のヒモをゆるませて消費させることにより始めて勧誘は成功であるといえるわけで す。

一方、オトナ庶民は、その「マスコミの天引き」によって何が得られるか、というと。。

まあ、娯楽的な楽しみだったり、ニュースを視聴することによる情報ゲットだったりするわけです。

大事なのは、「稼動時間」は延長がきかないわけですから、「マスコミの天引き」によって失われる時間があるということは、その時間分、本来 やるべきことができなくなっている、ということに、ほとんどの庶民は気付かない、ということです。

気付かないのではなくて巧妙に気付かせられていない、といいますか。。ますます、巧妙になってきているわけですね。


おカネを節約するのと同じように時間も節約しましょうよ、と。

昨今、保険見直しの機運が高まっていますが、天引きされている保険金額とコストパフォーマンスを再検討するのと同じように、自分は稼働時間 の うちどれぐらいを「天引き」されているのか、その天引きにより自分の精神的にどのぐらいコストパフォーマンスを上げているのか、そのコストパ フォーマンス は妥当なのか、を再検討しなければならないのです。

これが、自分がこの日記で常々訴えてることなんですよね。

余計なお世話かもしれないですけど、このままだと、現代人のほとんどは自分なりに納得いかないまま死を迎えることになってしまいますよ。

これだけの情報化社会、高度資本主義社会になっているのに、年寄りの、死の直前の自分の人生の採点、満足感は、どんどん低下してるんです よ。(【重要】マーク)

それはなぜかというと、理由はふたつあって、

ムカシのヒトは今より、おおよそ、「身の程をわきまえていたから」なんです。

マスコミによって余計な「万能感」のようなものを持つことがなかったから。

それともうひとつは、今まさに書きましたけど、マスコミによって時間を天引きされまくっているからです。

実際問題長生きはしているのかもしれませんが、マスコミの天引きで「実稼働時間」をだいぶ減らされているのですよ。

そのことについて巧妙に気付かされないできているから、何となく、「自分の人生これでよかったんだろか まあよかったのかな」という感じ で、かすかな疑問を感じてそれを払拭できないまま死んでしまうのです。

そんな人生悲しくないですか? マスコミに振り回されておしまい、の人生なんて。