元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

リミッター

「自分は〜な人間である」と規定するのは自分に「リミッターをかける」ようなもんで。

それだったら、いっそのこと「自分は万能である」って規定したらいいんじゃないのでしょうか。無料なんだし。罰せられることもない。人に迷惑もかけないのですから。

後者が「ウソいってるみたいで」と思うのであれば前者もウソです。それは大前提としておさえておいたほうがいいですね。


ところで、
「世間体」ってやつに(喜んで)リミッターをかけられているのであれば、それは外したほうがよいです。
「他人」にリミッターをかけられているという自覚があるのであればその他人からなるべく離れたほうがいい。人間関係は一回、いや、何回でもリセットしていいのです。


もっとも難しいのは「親」のリミッターなのです。(本題)

「躾」という名の洗脳。日本の教育はかなり均質化されていてそれが問題にされることもありますが、躾ってのは個人宅によってぜんぜん違う。躾は均質化とは逆の方向にいってます。

悪い親に育てられた子はホントかわいそうです。
いや、僕の親が悪かったわけじゃなくて。。なんというか、どんな親でも、特定の、偏向的な性癖があるでしょう?
そういうのが、子供に多大な影響をおよぼすわけです。

そして、さらに悪いことに、親の洗脳には一生気づかないかもしれないのです。親から受け継いだヘンな性癖に対してヘンだとも思わずに一生過ごすかもしれない。(他人は即座にヘンだと思うのです 他人は他人で別な躾をうけていますので)

これを振り払って、新たな人生の第一歩を踏み出すのは、ホントに難しい。なぜならば、「親の躾(洗脳)は間違っていたのかも?」ということを認めることから、はじめなきゃいけないからです。


僕の場合。。親が歳をとるほどに「哀れみ」を感じてしまって。。老化というのもあるのですが、ああ、ウチの親ってのはなんて器の小さい人たちだったのか、と。。
これを認めてしまったときはけっこう愕然としたけれども、その後はいい感じの「上から」目線で親に接することができるようになりました。これは、けっこうよかったです。
俺は、親(この、器の小さい)を超えなきゃホント駄目だなって、強く強く思うことができたから。